先輩の活躍

人はコマじゃない!
職員一人ひとりの個性が生きる
最高の職場づくりに挑戦

特別養護老人ホーム
みどりの郷

平成26年8月 中途入職

事務係長

佐藤 尚文 さん Takafumi Sato

営業成績は常にトップクラス
楽しくて、没頭して、明け暮れた
社会人駆け出しの信組時代

地元の高校を卒業後、東京の大学に進学しましたが、大学卒業後は福島の実家に戻り、信用組合の営業マンとして働きました。信組なので、お客様は個人のシニア層が中心でした。
「何か困ってることないですか?お金お貸ししますよ」「退職金の預金は当信金へお願いします」「資産の運用はどうですか?」と、毎日お客様のところに顔を出して営業活動を行っていました。
それこそ、伺えばお茶を出して頂いて、縁側に腰掛けさせてもらいながら他愛もない世間話をしたり、ご高齢のお客様のご自宅で蛍光管が切れたと伺えば、営業に出向いたついでに蛍光管交換したり、精米する前の玄米30kgが重くて動かせないと聞けば物置から玄関まで運んであげたり、何でも屋です(笑)。

お金に関すること以外にも困っている事があれば、自分に出来る限りのことは対応しようという感じで、そうやってお客様と関係を築いていきました。上司にも同僚にもお客様にも本当に恵まれて、営業成績も常にトップクラス。仕事が楽しくないはずがありません。
ノリにノッていました。営業成績が良ければ当然それだけ抱える仕事量は膨らむ訳ですから、営業から戻り、夕方以降の事務処理やら残務整理などのボリュームも結構なものでした。毎日深夜帰宅は当たり前、土曜日の休日出勤も当然の生活が続きましたが、それでも遣り甲斐があって、仕事が楽しかった。
体力的にキツいと感じることもありましたが、サラリーマンはみんなこんなものだろうと思いながら、先ずは3年頑張ろう、3年頑張れたら5年頑張るんだ、と、自分を鼓舞しながら乗りきっていました。
こんな調子なので、同居しているとはいえ、家族と顔を合わせる時間は本当に僅か。両親も、もう社会人になっている自分にいちいち干渉する訳でもなく、特に親父は男同士ということもあり、あまり細かいことを言って来ることもありませんでした。
土曜日の朝、いつものように休日出勤しようとすると

「おい、尚文」

と、背後から親父の声が。

「そんな勤務、おかしいぞ!よく考えろ。」と、一言。

親父は農済に勤務していて、ほぼ定時通りの勤務。早朝や週末の休みには家業の農業を手伝ったり、家族との時間を大事にしたり、まさしく絵に描いたような「家長」そのものでした。そんな親父にしてみれば、当時の私の勤務状況は信じ難いもので、折角家を継ぐ気持ちで実家に戻ってきたとは言え、長男としての自覚もなければ家を顧みようともしない、しないというより顧みる時間など全く取れない状態に、痺れを切らしたんだと思います。
確かに自分自身、ただ寝に帰るような生活しか送っていないのに、実家に同居しているだけで何となく長男の役割を果たしていた気になっていました。普段、何も細かいことを言ってこない親父だけに、自分には結構ガツンと来た一言でした。
そうは言っても、今の仕事を辞める訳にもいかないし、これからはもう少し家族のこと、家のことを考えて、ただ自分がやりたいことだけに没頭するのは少し控えよう、その程度にしか考えていませんでした。

長男として、家長として
この家を守る
父の死で決めた覚悟

それからしばらくして、親父に肺がんが見つかりました。すぐに開胸しがんの原発がある方の肺は全摘しましたが、既に転移していて。発見直後にまさかの余命宣告です。その時点で医師からは「あと、2年半」と言われました。
親父は仕事を辞めて、退院した後は自宅で療養生活を送っていました。体調がいい時は地元のソフトボールチームでソフトボールを楽しんだり、家業の農業を手伝ったりして過ごしましたが、時間の経過とともに徐々に体調が悪化し、そんな生活も長くは続きませんでした。
親父本人も家族も、最期の時間を自宅で過ごすことを強く望み、最期の1年間は自宅で家族みんなで看病をして親父を看取りました。

「長男として、この家も、家族も、あとは俺がやる。親父がちゃんと安心して逝ける様に。」

沢山の花に囲まれて何を話しかけても返事が返ってこない親父を前に、自分はそう心に誓い、覚悟を決めました。

「おい、尚文」

あの時と同じ様に、背後から親父の声が聞こえた気がしました。
今、自分の目の前に親父の亡骸があって、でもあの時と同じように、背後から親父の声が聞こえた気がしました。

「家族を守るって、お前が思う程そんな簡単な事じゃないぞ。家を継ぐってのは、家族みんなの人生を背負い、先祖を敬い、そのことを後世にちゃんと残していく事だぞ。それをやったからって、誰も褒めてもくれないし、偉くもないし、一家の主として、男として当たり前の事だぞ。」

親父がもし生きていたら、そんな感じで自分に言ってきたと思います。
親父が生きている間に、一緒に酒を飲みながらそんな話の一つもしておけば良かった。自分の唯一の後悔です。
自分が社会人になってから、ずっと仕事漬けでそんな時間取れなかったとう事が一番大きいですけど、何でしょうね、男同士、親父と差しで向き合う事にお互い照れがあるっていうか…。そんなチャンス作ろうと思えば作れないこともなかったとは思うんですが、忙しさを理由にあえてそのチャンスをお互い避けていた様なところがあったのかも知れないですね。話すのが照れくさいなら、何も話さなくてもいいから、一緒に酒だけでも飲みに行っとけば良かった…今でもそれだけが心残りです。

信組に入社して7年目の春、人事異動で郡山市に転勤になりました。家から車で片道50分~1時間程度の営業所で、これまでの勤務に更に通勤時間が往復で2時間以上プラスされた状態です。当然、帰宅時間はこれまで以上に遅くなりました。家の事は全くできなくなり、自分が寝る時間を確保するのが精一杯な日々。この状況をずっと継続するのが無理であることは自分自身が一番よくわかっていました。金融機関であれば、当時は転勤は避けて通れない世界。仕事は楽しい。でも、自分という人間は、仕事だけで成り立っている訳じゃない。家族が居て、家があって、そして仕事があって。何より、親父に誓った約束が自分にはある。
私はワークライフバランスを手に入れるべく、転職する決意をしました。

ワークライフバランスを手に入れた
でも、仕事の遣り甲斐を失った

大手製粉会社の子会社で、問屋の営業職として、新たなスタートを切りました。業界は変わりましたが同じ営業職なので、これまでの経験を生かしてお客様と関係を築ければ、またここでもそれなりの営業成績をきっと残せるだろうと信じ、仕事に励みました。県内の和菓子店、洋菓子店、パン屋、製麺所、ラーメン屋を中心に、ルート営業です。
いざ営業に出てみると、信組時代の個人営業とは全く違いました。信組時代は「困った時の信組さん」と、お客様からは何かと頼りにして頂けた部分が多く、営業マンとしてそれに精一杯応えながら一歩一歩お客様との関係を築き結果を残してきたので、営業に訪問した際に邪険な扱いを受けることも殆どありませんでした。
しかし、今度の営業はそうはいかない。何も困っていない店舗や企業から、頼られることなど何一つない。競合他社を掻き分けながら粉を売り込みに出向いても門前払いは当たり前。何度も足を運び頭を下げ、他社との違いなんて殆どない自社が取り扱う「粉」をあの手この手でアピールして、初めて交渉のテーブルにつくことが出来る。
大手菓子店に出向けば、我々の様な業者に対する態度の酷さに驚き、それでも自社の粉を納品してもらうため、何度も頭を下げ、振り払われても振り払われても食い下がり、足繁く通う。同じ営業でも、金融時代との違いをまざまざと見せつけられました。ここに来て初めて見えた世の中があって、わかったことも沢山ありました。

連日帰宅が遅くなることも、休日出勤することも殆どなく、この転職の最大の目的であったワークライフバランスを自分は手に入れることが出来ました。営業成績も良く、傍から見たらすべてが順調そうに見えていたと思います。
しかし、1年が経ち、2年が経ち、転職してから3年目を迎えても、自分の心の中は空っぽ。一向に仕事に遣り甲斐を見出せずに暗中模索する自分がいる。どんなに業界の事を勉強しても、どんなに商材の研究をしても、全く興味が持てないんです。個人の和菓子屋の主人とか、ラーメン屋の店長とか、粉にこだわりを持っている顧客様が目を輝かせて粉の話をして下さる時もある。粉屋なら、そんなお客様との会話とかやり取りとか、関係づくりが楽しくて大きな遣り甲斐であるはずなのに、自分でも何故だろうと思う程、全く興味が持てないんです。そんな状態なので、お客様の元へ営業に出向くのが自分でもだんだんと苦痛になる。

「あれもこれも手に入れようなんて、虫が良すぎる話。 ノルマがキツい訳でもない、営業成績だっていい、仕事について行けない訳でもない。 何より、ワークライフバランスが取れている。ただ、仕事に遣り甲斐を感じない、それだけの事じゃないか。」

そう割り切ってこの2年間仕事に励んできたものの、仕事に遣り甲斐を見出せないということがこんなにも辛く苦しい事だとは、転職する時には考えもしませんでした。転職する時、ワークライフバランスを手に入れる事ばかり考えて、仕事の遣り甲斐は絶対ではない、そう思っていましたが、それは違った。今の仕事を一生の仕事にしながら自分は歳を重ねていくのかと考えた時、自分の人生って何なんだろうと、どこにあるんだろうと、軸を見失いかけました。入社して2年を過ぎた頃から、転職を意識するようになりました。
もう失敗はできない。

迷い、模索した20代
信用組合、食品卸売業界を経て
辿り着いた介護業界

仕事が充実していた頃は、今と何が違っていたのか、一度立ち止まって自分なりに冷静に分析しました。
あの頃は、仕事を通じて人のお役に立てる喜びがあった。そして自分を頼りにして下さるお客様に応えることが、自分の中で一番大きな遣り甲斐になっていたという事。それを叶えられる仕事、家を守り、長男としての責任を果たしながら、遣り甲斐を持って働ける職場。
就職活動は、かなり慎重に行いました。

その中で目に留まったのが、湖星会の事務職の求人でした。介護業界への転職など考えてもみなかったのですが、地元の法人で、職務内容的にもこれまでの経験を生かせて、少子高齢化のこれからの時代、社会から必要とされる伸びしろの大きい業界は、自分にとって魅力的でした。

それにしても、自分のこれまでの人生で「介護」とか「福祉」とかの業界に、何か接点はあっただろうか…?

高校生の頃、同級生と1日体験で老人ホームに行ったことがあったけど、あの時のあったかい雰囲気はとても好きだったな…。信組時代には、ご高齢のお客様多かったな・・・それこそ老人ホームに入ることになったお客様の資産を整理したり、ご高齢になったお客様に管理しやすい資産運用を提案する営業なんかもしていたな・・・。思い返してみると、案外これまで仕事を通じてご高齢の方と接触する機会はそれなりにありました。そして、最も自分にとって身近だった介護は、親父の最期を家族みんなで自宅で看取ったこと。介護業界そのものに高い関心があった訳でも、介護業界の専門的なスキルがあった訳でもないですけど、これまでの自分の記憶をつなぎ合わせて、イメージは描きやすかったです。
早速、湖星会の求人に応募して、面接に出向きました。

採用試験日当日は、面接の前に施設を見学させてもらいました。自分がイメージしていた老人ホームは、お年寄りの方達がテレビを観ながらおしゃべりに花を咲かせている様な場面を勝手に想像していたのですが、実際にはそのイメージとは全く違った実態がありました。自分の意思を伝えられる人ばかりでもなく、寝たきりで、食事は経管で栄養を直接胃に流している方も一定数おり、本当に介護を必要とする方たちが大勢暮らしているところでした。

見学を案内してくれた職員の方は「みどりの郷もオープン当初はもう少し全体の平均介護度が低くて、それこそみんなで外出行事したり、中庭で花を植えたり、畑を耕して野菜を収穫したり、その野菜で料理をしたりして。毎日賑やかに過ごしていた時代もあったけど、今は全体の介護度が上がってきてお客様のできる事がかなり限られてきている。その中で取り組むユニットケアって具体的にはどういう事なのか?今、私たちはもう一度自分たちの目指すところ、取り組むケアについて考え直す時期に来ている。」と説明して下さいました。

もちろん、ユニットのリビングに行けば、入所している方と職員の方が5~6人でお茶を飲んで楽しそうに談笑している光景もありましたが、一方居室では、寝たきりでずーっと天井を見つめている入所者の傍に職員が寄り添って「〇〇さん、今日はね、すごくお外天気がいいんですよ。少し窓開けてみましょうか?」と、ゆっくり、大きな声で話しかけている姿がありました。その声掛けに返事は全くないのに、それでも職員の方はその後も話かけ続けていました。

「あの、この方って、話声は聞こえているんでしょうか?音として聞こえていても、言っている言葉の意味はわかるんですか?」その職員の方に質問すると、「うーん、どうでしょうね。何となくはわかるのかな?もしかしたらわからないのかも。」と、ニッコリと答えてくれました。そして「言っている意味がもしわからなかったとしても、自分に何か言ってきているな、自分の方を見てもらえているな、自分の傍に人が居るな、って、それを感じてもらえているだけでもいいのかなって思うんです。放って置かれているとか、誰も私のことなんて気に留めていないとか、寂しいとか、そんな孤独を感じないように。寝たきりで言葉が理解できなくても身体とか感覚で感じることができるもの、例えば音とか、匂いとか、風とか、温もり、肌の感触、雰囲気とか。そういうものの中でお客様が心地いいと感じるものがあれば、暮らしの中の楽しみの一つとして、感じて欲しいんです。」そう目をキラキラさせながら言うんですよ。

もう自分の中で一種のカルチャーショックというか、初めて見た世界っていうか、この人たちって、本当すごいなって感服しました。人の幸せを自分のことの様に追求しようとしている。一緒に生きようとしている。人の幸せが自分の幸せになっている。本当、すごいっすよ。
人のお役に立てている実感が欲しいだの、ニーズに応えて成果に繋がれば楽しいだの、自分が言っている仕事の遣り甲斐なんてすべては自分の営業成績のためで、所詮は自己満足の塊みたいなもの。何だか急にチープに思えてきてきた。「俺、この歳になるまで今まで何してきたんだよ。」と、自分自身が恥ずかしくすらなってきました。

みどりの郷を初めて見学したこの日、心から純粋に「ここで働く職員の人たちをサポートしたい。ここで働く職員の人たちが大切にしているものを支えたい。」そう思ったんです。もともと自分は、何でも表に立ってやりたいタイプですが、裏方の役割を心からやりたいと思ったのは、これが初めてでした。この熱い思いを胸に、私は湖星会に入職しました。

広がる仕事の幅
経営的な視点が鍛えられる

入職後は特別養護老人ホームみどりの郷の管理部に配属となり、経理業務が自分のメインの仕事になりました。
メインの仕事が経理と言っても、施設内に発生する事務的な業務は全て管理部に集中するので、契約関係や管理、購買から物品の払い出し、入札、建物の営繕管理、車両管理、売店の管理、人事、採用、労務管理まで、お客様の介護と看護、調理以外の事は全て管理部が担います。担当業務だけを消化していて務まるようなポジションではありません。

お客様の送迎の人手が足りなければ自分が送迎に出ることも結構な頻度で発生しますし、季節行事やイベントの開催となればテントやテーブル、椅子などの設営手配も管理部で行います。お客様のご家族が面会に来られれば、受付の対応から給茶の対応まで、とにかく幅広くマルチタスクで業務をこなさなければなりません。介護施設の事務職は、まさに「何でも屋」。安全にお客様が暮らせているか、滞りなく施設が運営されているか、常に施設全体を見渡しながら、先を見越して早め早めに備えるのも自分達管理部の役割だと思っています。

営業畑でこれまでやってきた自分が事務職と聞くと、一日の大半を自分の席に着席してパソコンで作業しながら仕事をするイメージでしたが、実際には、自分の席に着席して事務仕事をするのは1日のうちで半分程度です。業者さんと打ち合わせをしたり、就職説明会に参加するのに外出したり、建物の設備に不具合が出ればそこをチェックして修理の手配をかけたり。そうやって、施設のあらゆるところに関わっていくと、普段経理担当として紙面上だけで見ている数字が「あ、あの時購入したものはこれに必要なものだったのか」とか、「1か所経年劣化で修理が必要な不具合が出たという事は、100居室すべてチェックして見積もり取った方がいい」とか、自分の中で「点」だった部分が、線でつながり、一つの事象から周辺に及んでくるであろう先の事を推測できるようになってくるんです。実態や現状をよく把握できることで、次の課題は何か、次に自分がやるべきことは何なのか、という事が自然と見えてくるようになるんです。こうなると、仕事がどんどん楽しくなってくる。
施設の隅々まで見えてくればくるほど、お客様にとって最高の施設を創りたい、職員にとって最高の職場を創りたいという気持ちが自分の中で高まってきます。

多岐に渡って色々な仕事をするのは、初めての事も多くていつも何か調べ物をしている感じですけど、知見がどんどん広がり、何より、自分自身仕事が面白い。お陰で、かつての自分からは想像できない程自分の守備範囲は広がり、経営的な視点もかなり鍛えられた気がします。

施設運営最大の要は「人」
一人ひとりが輝ける持ち場の提案

みどりの郷で働き始めてもうすぐ5年が経とうとしていますが、やはり施設の運営で要となるのは「人」だと思っています。
お客様にとって最高の施設を創りたいと思うのなら、そういう施設を創り出せる職員の存在がマストになる。
採用と教育、そして働きやすい労働環境の整備が、これから自分達が一番力を入れて取り組むべき部分になってくるところだと思っています。だから自分から手を挙げて、今年から採用の仕事も担当する様になりました。人事労務の仕事はこれまで多少かじった事はありましたが、採用に至っては全くの初めて。専門書に目を通したり、ネットを調べたり、前任者に色々教わったりしながら、今のリクルート市場の実態であったり、競合他社はどんな活動をしているのかといったリサーチを自分なりに行っていました。
そんな中、企業のトップが経営論について思いを語る特集を発見し、しばらく見ていると、こんなメッセージが目に飛び込んできました。

「社員はツールじゃない。会社は社員と、その家族の幸せを背負う義務がある」

これを目にした時「そうだよ、そうなんだよ!」と、思わず声を出してしまいました。
社員はツールじゃない。職員はコマじゃないんだよ。誰でもいい仕事を誰かがやるとか、言われた作業だけをただ処理していればいいとかじゃなくて「この仕事はあなただからいいんだ」「あなたが担当者なんだ」という、その人が持つ個性や能力が生きてくる「持ち場」をそれぞれに提案して、人が輝く職場にしたいんです。
能力も経験も得意も不得意もみんなバラバラ。会社って、そんな個の集合体だと思うんです。自分だってそうですし。
みんなと同じようにできない人はすべてダメとかじゃなくて、じゃあ、その人ができる事って何なのか、得意って何なのかを探って、その人が生きる仕事とか持ち場を提案したいんです。

どんな仕事だって、仕事を任せてもらえればそこに責任が出てくる。そしてその人なりに工夫をするようになる。いずれ目標が出てきてその先に成功だとか人の喜びがあれば、それが仕事の遣り甲斐に繋がってくる。目標があって、毎日が充実してきて、やりがいを感じて、みんなそれぞれに輝いている。例えどんな役職であろうと、立場であろうと。
職員だけでなく、その家族も、湖星会に勤めていて良かったと思えるような職場をこれから自分は創っていきたいんです。

自分がみどりの郷を初めて見学した日、お客様の幸せを自分のことの様に追求しようとしている職員の姿があった。お客様と一緒に生きようとしている、お客様の幸せが自分の幸せになっている職員の姿があった。だったら自分は、お客様の幸せを支えようとしている湖星会職員の幸せを追求して、その職員の家族の幸せを願いたいと思う。本気で思う。
会社が背負う義務を果たすのは、他の誰でもない、湖星会の職員である自分達。
まるできれいごとを言っているかの様に思われるかも知れない。
でも、きれいごとを追いかけてやり続ければ、それはいずれ現実になる!
そう自分は信じています。絶対にやってみせる(笑)。

「湖星会に来て本当によかった」
自分がそう思えたことが
採用活動最大のPRメッセージ

仕事に遣り甲斐を持つことも、育児や親の介護など職員の人生に起こる色々なライフイベントにも柔軟に対応できる労働環境も、成長を実感できる教育体制も、仕事とプライベートのバランスも、そして職場の人間関係も、働く上ではどれも大切な要素で、どれか一つでも欠けたりうまくいかなくなったり、自分の中で無理を重ねれば、仕事は長くは続きません。それは自分自身が湖星会に辿り着くまでに身をもって感じた事でもあります。

みどりの郷で働くすべての職員が、今の自分の人生にちょっとでも幸せを感じて、湖星会に来て本当に良かったと心から思えるような、ここをそういう職場にしたいんです。お客様にとって最高の素晴らしい施設は、輝く職員の手から生み出されるということも、ここみどりの郷に来て知った事です。離職者ゼロの職場、職員一人ひとりが輝ける職場づくりを目指して、これから色んな事にチャレンジするつもりです。

今、自分の勤務状況は、勤怠締日や月末の締日とかの直後は多少残業することもありますけれど、それ以外は殆ど定時には仕事の目途をつけて帰宅でき、公休もすべて取得できています。だから家族との時間も持てて家の手伝いもできているし、子どもたちと過ごす時間も十分に取れている。自分自身がリフレッシュする時間もちゃんとあります。
一度転職に失敗し、模索した時期がありましたけど、自分は湖星会でワークライフバランスも、そして仕事の遣り甲斐も、どちらも手に入れる事ができました。
今の自分をもし親父が見ていたら、多分安心してくれたんじゃないかなと、時々思う事があります。

「おい、尚文」

「今夜も19時前には帰れるんだろ?明日も明後日も休みなんだろうから、どうだ、一杯行くか?」

今だったら、毎週でも行ける。もう、それは叶わないけど。

私自身湖星会に来て、ようやく自分の生活が安定したと感じています。仕事も暮らしも安定して、人の幸せのために何かをすることの喜びもここで知りました。自分が感じているこの法人の魅力を何も飾らず、ありのままを伝え、思いをそのまま話せる事自体が、採用活動において最大のPRメッセージです。

湖星会での就業を
検討されている方へ

みどりの郷では、通年で中途採用の募集を行っています。それは、本当に仲間に加わって欲しい方に、来ていただきたいからです。前職が営業マン、金融業界、公務員、サービス業、色んな職員がそれぞれの得意を生かしてここで活躍しています。これまでのキャリアも、弱みも、強みも、性格も、本当に皆さんそれぞれですけど「いい施設を創りたい」「お客様の幸せを一番に願いたい」という、その思いと、湖星会の理念「自らが受けたいと思う医療と福祉の創造」を共有しながら、それぞれの「持ち場」で輝いています。

自分の仕事に責任を持ってやり遂げる事は当然ですが、だからと言って、仕事漬けの様な働き方を湖星会は全く求めていません。ここぞというタイミング、安定の期間、職種によってはメリハリが必要な場面もゼロではありませんが、誰だって、家庭も、家族も、趣味も、プライベートもあって、初めて自分という人間が成り立っている訳ですから、そのどれも大事にしたい、そんな価値観を持った人たちと一緒に思いを共有しながら仕事ができる事を望んでいます。
湖星会でなら実現できること、湖星会でなら発見できることが、きっとあると思います。現在、同業種で活躍中の方も、異業種で活躍中の方も、是非、施設にお越し下さい。色々お話を聞かせて下さい。
あなたにとって「最高の持ち場」を提案させて頂きます!

Profile

二本松市出身。立正大学 経営学部 経営学科 卒。
平成26年8月1日に湖星会へ入職。経理業務を中心に活躍。
湖星会の有志で結成するソフトボールチーム、その名も「みどりの郷」では、監督兼四番バッターを務め、チームを見事優勝へ導いた。
仕事も課外活動も順調な中、平成28年1月には事務主任に昇格。「打てる事務主任」として、仕事でもヒットを連続。その実績が評価され、平成30年4月に事務係長へ昇格し、今年度からは本人の希望もあって新卒採用の主担当としても活躍している。
現在、特別養護老人ホームみどりの郷の管理部全体のマネジメント業務と、同施設栄養課のマネジメントを担い、公私に渡りノリにノッている。仕事でホームランが出る日もそう遠くはなさそうだ。
太い黒縁の眼鏡がトレードマーク。ラーメンをこよなく愛する、みどりの郷期待のマルチプレイヤー。