先輩の活躍

介護を必要とする方も
介護をするご家族も
力強く支えていける存在に

特別養護老人ホーム みどりの郷

平成28年4月 新卒入職

介護職

古川 達人 さん Tatsuto Furukawa

震災後の悲惨な状況下
被災者との共同生活の中で
決意した自分の歩む道

工業高校卒業後、仙台のタイヤ工場に就職したのですが、私が入社したのは、あの東日本大震災があった直後でした。宮城県沿岸部は津波の影響で、しばらくの間本当に大変な日々が続きました。
自分が勤める工場の倉庫が仙台港の方にあったのですが、あの辺一帯はもうかなり悲惨な状況でしたね。震災後3か月を経過して初夏の陽気になった頃も、道路を走ろうにも波に飲まれてスクラップ状態になった車やら、流された家の瓦礫等が辺り一帯を埋め尽くしていました。道路の両端にそれらをザッと寄せて、大量の潰れた車や瓦礫が無造作に積み上げられて、何とか一車線分のスペースを確保して、そこを譲り合って上りの車、下りの車が往来するような状況があちらこちらにありました。
そして、震災があった日からしばらく時間が経過してからも、街の中で「赤い旗を付けた棒」(※1)をあちらこちらで見かけるんです。

勤務していた工場の近くに社宅があり、私はそこで暮らしていたのですが、その社宅では被災者の受け入れも積極的に行っていました。そこで私は被災者の方たちとの共同生活を送っていたのですが、精神的なダメージがものすごいことを肌で感じたんです。

それはそうですよね。だってある日突然、これまで経験したことのない地震や津波に襲われて、家も、財産も、仕事も、そして大切な家族の命も、一瞬にして奪われてしまったのですから。本人も、命からがら何とか逃げきって、一命を取り留めたという方も沢山いらっしゃいました。

すべてを失った現実を受け止められない、頭が整理できない、あの時こうしていればという後悔の念、悔やんでも悔やみきれない思い。生と死を分けたその線引きって何だったのか。愛する家族の命は奪われ、自分が生かされたことに何の意味があるのか。もう、そんなことを朝から晩まで、来る日も来る日も頭の中をぐるぐると巡っている訳です。そして「もしかしたらどこかで生きていてくれるかも」とか、「本人を探すのに手掛かりになるものが出てくるかも」と、まるで砂丘の中から一粒の砂を見つけ出すような作業をするために、毎日毎日出かけていく方もおりました。そして震災から数カ月経過する中で、生存はもう望めないことを受け入れ、せめても遺体を見つけ出してちゃんとした形で葬ってあげたいという思いで、毎朝浜辺に遺骨を探しに出かける方もいらっしゃいました。それは、家族の命をそう簡単に諦めきれない人たちの姿そのものでした。

私は、被災者の方と同じ屋根の下、おなじ釜の飯を食べて暮らしながら、被災者の方たちの痛々しい心を毎日肌で感じながら過ごしました。
住むところや食べるものは満たされていても、ぽっかりと空いてしまった心の穴をこの人たちはどうやってこれから埋めて、満たしていくんだろうか・・・。心のケアは、誰が担ってくれるんだろうか…。自分も何かこの人たちの役に立ちたい。
思いは募る一方で、何もできない自分にジレンマのようなものを感じ始めました。自分自身に力を付けなければ、人を助けることも、人の役に立つこともできない。
自分が勉強して必要なスキルを身に付けて、苦しんでいる人たちの支えになれるような活動をしたい、そう強く思いました。

実は自分にとってこういった思いに掻き立てられるのは、初めてじゃなかったんです。
私が16歳の頃、51歳の父が脳梗塞で倒れ、仕事を辞め在宅で療養生活に入りました。半身マヒの後遺症が残った父の介護は母が全面的に行っていましたが、母も介護や福祉に詳しい訳ではないので、一つひとつ自分で調べたり、詳しい方に教わったり、必死に情報を集めながらあれもこれも一人で対応していました。

父の介護に自分も参加したいという思いと、一番は、母を助けたい気持ちが強くありました。しかし、当時の私は介護や福祉に関して全くの無知状態。あの時も、何かしてあげたい、何か役に立ちたいという気持ちが募るばかりで、実際に何が出来るわけでもなかったんです。自分の無力さに苛立ちもありましたし、力が無い自分が情けなかった。悔しかったです。そして今回、東日本大震災を経験して、また同じ悔しさを味わった。あの時と同じ、悔しいとか情けないとか、そんなことで終わらせてしまって、本当に俺はそれでいいのか? 自分の心に何度も問いかけました。

このまま自分の気持ちをスルーする訳にはいかない。
もう悔しいとか、情けないで終わらせるのだけは絶対に嫌だ。

私は大学に行く決意をしました。
「大学で専門的な勉強をして、本当苦しんでいる人の役に立てる活動をするんだ!」
そう決意して会社を退職し、本格的に受験体制に入りました。

(※1)捜索班が遺体を発見するとその場所に赤い布がついた棒を目印として立てて、遺体収集班へ知らせる。

先進国日本ならば
もっと福祉教育の充実を

会社を辞めて大学に入っていざ福祉を学ぶようになり、幼少期からこれまで自分が学んできたことを振り返ると、自分も含め、若い世代の人が福祉や介護に関して学ぶ機会って、本当に無いなと改めて実感しました。あまりに無知すぎるなと。知る機会もないし、学校で学ぶこともない。いつ、だれの身にだって、家族に介護が必要になるリスクはあるはずなのに。

「助け合って生きていこう」みたいな道徳の授業はあっても、本当に困っている人にどう向き合って、どう助けるのか、助けるために必要最低限の知識と技術と方法と、そういう実践的なことは何も学んできていないんです。マインドだけ育まれるみたいな。だから、いざ助けが必要な人が目の前に現れたとき、助けなきゃという気持ちは湧くけど、じゃあ実際に周りは何をしたらいいのか、仮にそれがわかったとしても、実践するための技術がない。ノウハウは一切持っていない。そういうことに気付く事もなく、何も知らないまま、自分達は日常を送ってきていたんですよね。

日本は先進国で、それこそ幼稚園から「お受験」とか、そっちの教育には一生懸命なのに、自分達が日ごろ生活する中で起こりうる大切な知識や技術って、あまり学んでないなと思ったんです。大学で学べば学ぶほど、こういう事をもっと子どもの頃から親しみ、学び、身に付けていけば、本当に「助け合って生きる」ことが実現するのに…と。

もし、私が文部科学大臣とお会いする機会があれば(笑)、義務教育のカリキュラムに、福祉の授業をマストで入れてもらう様にお願いしたいです。超実践的なカリキュラム構成で。例えば、街の中で歩行が不安定なお年寄りが青の時間が短い横断歩道を渡ろうとしていた場合、自分がどの位置に立ってどう誘導してあげるのが安全な方法なのかとか、車椅子の方が段差を前に困っていたら、どう手助けするのが安全で正しい方法なのかとか。大半の子どもたちは、車椅子の構造も知らないし触れたこともないでしょうから、普段の暮らしの中でそんなシーンに出くわしても、助けなきゃって思いはあっても、何もできなくて素通りしちゃうんじゃないかと思うんです。かつての自分みたいに。

そして、福祉全般についても知る機会を持って欲しいです。高齢、児童、障がい、女性、色んな分野があって、それぞれにどんな機関があって、どんな役割を担っているのか。こんな事で困ったら、先ずどの機関の窓口に相談に行けば、こういうサポートを受けられる、とか。やっぱり子どものうちから福祉について学ぶ機会って必要だと思います。キャンペーンとかイベント的に単発でやるんじゃなくて、授業として毎週1コマ「福祉」という科目があって欲しい。それこそ、今取りざたされている子どもの貧困格差の問題とか、虐待とか、子どもに関するいろいろな問題なんかも、子ども自身の力ではどうにもできないことばかりだけど、でも教育って、色んな意味でそこから自力で脱出させるための有効な手段の一つだと思うんですよ。

知ること、学ぶこと、そして身に付けること。知ることからすべてが始まって、学ぶこと、身に付けることは、人を助けることにも、人の役に立つことにも、そして自分自身の身を助くことにだってつながってくるんです。

それともう一つ、職業体験の授業があるなら、そこに福祉関係の仕事の体験も、もっと積極的に入れて欲しいと思います。ネガティブなイメージばかりが先行してしまうところがどうしてもあるので、実際には違うんだということを知って欲しいんです。でもそれは、やった人にしかわからないこと。だから、少しでも触れる機会を持って欲しいと思うんです。「この人を幸せにしたい」「この人のために取り組みたい」その思いって、すごくシンプルだけど仕事をしていく上での原動力だし、自分が関わったり汗かいたりしたことが人を幸福にして、ましてやその瞬間に立ち会えるのって、すごく感動的だし。取り繕った言葉を並べて評価をもらうより、こころからの「ありがとう」の一言で、それまでの苦労がすべて吹き飛んで、喜びに変わります。原始的ですけど、本当にそうなんですよね。

そういう点では、世の中に沢山ある職業の中でも、感動の多い職種ランキングで言ったら上位に来るんじゃないですかね?生きている時間の中で、笑ってる時間は本当に多いと思いますよ(笑)。自分の友人の兄貴とか、誰もが知る一流企業で将来有望とされるポジションで働いてますけど、いつもなんかちょっと張り詰めていて、険しい表情してて、胃薬とかサプリとか、色々飲んでいますけど、笑った顔って殆ど見たことないと友人も言ってて。だから奥さんもいつも気を遣っていて、家族とは思えない緊張感がいつも漂っている。子どもがいるんですけど、両親いつも緊張しっぱなしで笑わないから、子どももあまり笑わないらしいんです。同じ給料もらって働いて生きていくのに、笑顔のある人生、笑顔のない人生、どちらも一度きりの人生です。その兄貴にこそ、こういう世界もあるってことを知って欲しいですね。幸せの価値観は人それぞれですから、色んな世界があるということを噂とか世間一般論とかじゃなくて、自分自身の感性と価値観で触れてみて、人生決めていけたらいいんだと思います。

実習先の精神病院で衝撃の光景
高齢者介護への興味が
どんどん深まる

実習は精神病院に行きました。その病院の中には認知症の病棟があったのですが、そこで私が目にした光景は、まさにカルチャーショック。こんな世界が本当にあるんだと、衝撃的でした。
例えば、トイレの便器の中の水を手ですくって飲んでいたり、窓に向かってずっと叫んでいたり、同じところをぐるぐる回り続けていたりとか。自分は初めてそういう環境に足を踏み入れて驚いて固まっていたのですが、そこで働く看護師さんなんかは「いつもの事」といった雰囲気で、普通にナースステーションで仕事している。その光景もまた、驚くような感じで。
この患者さんたちって、完治するということは多分ないと思うけれど、退院後の暮らしはどうなるのだろうと、単純に疑問でした。この感じで退院して自宅に戻っても、家族が介護をして同居するのは無理だろうと、それだけは間違えなくわかりました。その頃から、高齢者介護に興味を持ち始めました。
大学4年になり就職活動を開始した時に、自分がどの分野に進むか色々考えました。そもそも、自分が大学で学ぼうとしたきっかけになったのは、東日本大震災の被災者の方たちとの共同生活において、心のケアができる自分になりたいという思いからでした。
しかし、実習を通じて「介護」という分野に触れた時、自分の父を介護する母の姿が何度も蘇り、やはり介護、できれば高齢者の分野に進みたいなと思いました。

そして、介護が必要な方を持つご家族を支えるような仕事に就けたらいいなという思いが募り、介護施設の生活相談員という仕事に興味を持ちはじめました。色々調べていくうちに、やはり生活相談員は介護の現場経験を重ねて介護の勉強をしっかりしてから就いた方が、いいパフォーマンスが発揮できると思い、先ずは介護職として就職活動を開始しました。

あふれる求人票の中から
湖星会の求人票に目がとまった

介護施設からの求人は、あふれ返る程大学に掲示されてました。地元はもちろんですが、他県からも、全国から凄い数の求人票がキャリアセンターに届いていて。これは探し出すのも容易でないと思いました。先ずは地元の求人からチェックしていこうと思い、サラーっと見ていきました。その中で、ひときわ給与が高く、福利厚生も整っている湖星会の求人を見つけました。
給与が高いのは嬉しいですが、それよりも、どうしてこの法人だけ同じ仕事をしているのに高い給料を払えるんだろうと、素朴な疑問を持ち、湖星会に興味が湧きました。他の法人と同じように社会福祉法人という法人格で、他の施設と同じように特別養護老人ホームという類型の施設を運営していて、どうしてこの法人だけ給与が高いんだろう。他との差は何なんだ??と。

そこで、早速湖星会が運営する施設を2か所、万葉の郷とみどりの郷を見学させて頂きました。施設に足を踏み入れると、とにかくキレイで驚きました。先ず、いやな匂いがない。建物の中もキレイ。
「ザ施設」という感じじゃなくて、すごく「生活の場」という雰囲気に溢れていた。建物は大きい施設だけれど、建物内、特にユニット内はすごく家庭的というか、本当に家っぽかったですね。
お年寄りがリビングでくつろいだり、ダイニングテーブルの方でおやつを食べたりお茶を飲んだりしながら職員さんも交えておしゃべりしたりしていて。自分とあまり年齢が変わらなそうな若い職員さんから、自分の母親ぐらいの年齢の職員さんまで、スタッフの方の年齢層も幅広くて。それがかえって家っぽさを醸し出しているというか、3世代で住んでいる親戚の家に遊びに来ている様な感じがしたんです。すごく居心地の良い空間だった。
意外だったのが、男性職員の姿が思ったより多かったことです。介護業界なので、女性が圧倒的に多い世界に飛び込んでいかなければならないのか…と、就職までには覚悟しなければと思っていたのですが、若い男性スタッフも多くて、そこは嬉しい意味での想定外でした。

湖星会に応募する決め手となったのは、正直な話、お給料が高く、施設の雰囲気がとても良かったので、他の施設よりもすべてにおいてレベルが高いのかな?と思ったからです。
それだけ高いお給料を払えるという事は、利用するお客様が多く、施設の収入が多くなければ実現できないし、それだけ多くのお客様が利用される施設ということは、他の施設よりもサービスが良い、職員のレベルが高い、それなりに理由があっての事と思ったので、働くならやはりいい施設で働きたいと思ったからです。
職員さん一人ひとりの身だしなみがきちっとしていたという点も、あらゆる面でのレベルの高さの現れのような印象を受けました。
湖星会が掲げる理念「自らが受けたいと思う医療と福祉の創造」にも共感しました。

生命って、逞しくも儚い
だからこそこの1日1日を
大切にしたい

湖星会に入職して、最初に配属されたのはみどりの郷のショートステイです。ショートステイのお客様は帰るご自宅のある方たちなので、お客様はショートステイに家庭的な雰囲気を望む方ばかりではありませんでした。
時々ここへ「お出かけしてくる」という気持ちでご利用される方も結構いらっしゃって。だったら、プチ旅行気分を味わってもらうのもまた「良し」なのではないかと思います。

お風呂を柚子風呂にして温泉の雰囲気を味わってもらったり、食事も松花堂弁当のお重に詰めてご用意して、旅館のお食事を楽しむような気分で召し上がって頂いたり。あとは、ご自宅で生活されているときは、やはり介護が大変でなかなかご本人を外に連れ出す機会がないというご家庭も多いので、みどりの郷の売店やカフェにご案内してお客様に喜んで頂いてました。
夏場なんかは、みどりの郷の、あのアイスクリームの販売が良かったですね。お店と同じ冷蔵庫で、種類も豊富で、普通にスーパーに買いに来たのと変わらない雰囲気。しかも値段はコンビニよりも安いし(笑)。

「こごさ来っと、毎日忙しいない。あっちこっちさ連れでがっち(笑)」と、お客様の表情がみるみる明るくなって、よく喋るようになって、大声で笑う声も聞こえてきて。この方って、本当はおしゃべり好きな方だったんだ、とか、こんなに明るい性格なんだとか、色んな発見があるんです。

お客様と話をしたり、私の方がお客様にかまってもらったりしながら、一緒に過ごしているときが仕事の中で一番楽しい時間ですね。

ショートステイ配属で働いていると、お客様のご自宅への送迎に添乗する機会も多く、ご家族との接点もそれなりにあります。お客様をご自宅に迎えに行ったり、送りにいったりすると、昔自分の父の介護を母が一人で背負ってやっていた頃を思い出します。あの頃の自分は気持ちが募るばかりで何一つできなかった。だから、父の支えにも、介護者である母の支えにもなれなかった。震災で傷ついた人が目の前に居ても、何の役にも立てなかった。でも、今は違う。あの時の気持ちを地域の方へ向けてちゃんと形にできている。助けが必要な方をサポートし、心に寄り添い、微力ながら役に立てている。日々の業務を通じて、そう実感できるんです。

仕事では、辛いこともあります。ある日新聞を読んでいたら、お悔やみの欄に見た事のある名前が載っているんです。先週までショートステイをご利用頂いていたお客様の名前で、にわかに信じがたい。送迎に添乗したこともあった方なので、新聞に掲載されている住所を地図で調べてみたら、間違えなくそのお客様だったんです。「先週あんなに元気だったのに・・・」と、悲しいんだけど、ただ悲しいだけともまた違う、妙な気持ちになった。自分の知っている方が、私の日常にあった方が、自分の知らないところで亡くなられていく。何というか、ぷっつりと関係が切れるというか、今まで味わったことのない感覚でした。人が人生を終えるって、こんな感じなの?と。あっけないというか、儚いというか。人は必ず最期の日がやって来るという現実に、改めて向き合った感じでした。そうなると、こうして今生きていることって、凄いことなんじゃない?と思う様になりました。生きている1日1日って、すごく尊いというか、すごいなって。うまい言葉が見つかりませんが。だから、1日1日をお客様と大切に過ごしたいと強く思いました。

休みの日は卓球仲間と
賑やかに過ごす

中学、高校と卓球部に所属していたのですが、高校卒業して1回目の就職を機に卓球から離れていたんですね。震災もあって、集まって卓球やろうみたいな雰囲気じゃとてもなかったですし。でも、その後落ち着いてから、また卓球を再開しました。休みの日は仲間と集まって卓球したり、卓球仲間と食事に出かけたり飲みに行ったりして過ごしています。季節がいい時はドライブがてら、新潟の方まで足をのばしてBBQへ出かけたりすることも度々です。

最近知ったんですけど、みどりの郷には学生時代に卓球やってた人が多いということが判明して!それが、結構な実力者が居たこともわかって。みどりの郷にはソフトボールのチームがあるんですけど、結構強くて、地域のリーグ戦で優勝して新聞に載ったりしているんですよ。卓球も、そろそろチーム発足か?!なんて、卓球やる職員同士で話をしていたところなんです。これが発足してくると、もう私の生活は卓球が中心になってくるかも知れないですね。(笑)

湖星会への就職を検討されている
学生の皆様へ

私はいつも、新しい環境に飛び込むたびに、みんなと馴染めるかな、仲間ができるかなと不安になるところが昔からあります。湖星会に入職する時もそうでした。
でも、湖星会は新卒の入職者がとても多く、私が入職した時は66名の新卒が入ってきました。同じ大学からも10名以上入職していて、あっという間に打ち解け、今も楽しく仕事をしています。
職員の年齢巾も広く、ベテランの先輩から仕事を教わり、自分の母親と同じくらいの年代の職員さんからは自分が抜け落ちているところをフォローしてもらって、若い世代の職員同士、力を合わせて新しいことにチャレンジしたりしています。
いつでもお待ちしてます。是非湖星会に来て下さい!

Profile

福島県福島市出身。福島学院大学 社会福祉学部 福祉心理学科 卒。
工業高校卒業後、宮城県の大手タイヤメーカーの直営工場へ就職。震災直後の就職で、就職した大手タイヤメーカーでは沿岸部で被災した地域住民の受入を積極的に行い、社宅で被災者との共同生活を経験する。そこで被災者の計り知れない心のダメージを肌で実感し、心のケアを必要としている人のために活動したいという強い思いが募り、そこから一念発起。会社を退職し大学へ入学。大学時代の実習を通じて高齢者福祉分野への興味が更に高まり、就きたい仕事が明確になる。
平成28年4月、湖星会へ介護職として入職。特別養護老人ホームみどりの郷の介護部に配属となり、短期入所ユニットで約2年間介護業務を経験。平成30年5月より同施設の長期入所ユニットへ異動。お客様からも職員からも信頼が厚く、若手の中核として活躍中。独特の存在感を放つ、湖星会きっての個性派職員。
将来の目標は、現場での学びを生かしながら、介護を必要とする人も、介護をするご家族も、力強く支えていける生活相談員になること。

介護職の先輩インタビュー