先輩の活躍

毎日が笑顔になれる仕事
人生のすべてが好転した
ラスール金沢文庫との出会い

特別養護老人ホーム
ラスール金沢文庫

平成30年8月 中途入職

介護職

仲川 彩夏 さん Ayaka Nakagawa

華々しい美容業界に憧れて
エステティシャンの道へ

高校卒業後しばらくの間、私は飲食店でアルバイトをしていました。
私には、年も近くて、子どもの頃からとても仲良しだった従妹がいたのですが、彼女はネイリストになり、私も時々ネイルをやってもらっていました。彼女が勤めるサロンは明治神宮前にあり、流行りのデザインをいち早く取り入れたネイルを提供する人気店でした。そのサロンでネイリストとして活躍する彼女の姿は、華々しくて、輝きに満ちていて、いつも私にとって憧れの存在でした。

「今度、サロンにおいでよ!」

彼女に誘われた私は、バイトが休みの日に初めて彼女が勤めるネイルサロンに足を運びました。そこでは、ネイルだけではなく、エステの店舗も併設していました。ネイリストやエステティシャンを養成するスクールも開校していて、そのスクールを修了すれば、そこのサロンでネイリストにもエステティシャンにもなれるシステムでした。

高校卒業後、飲食店でずっとアルバイトをしていた私は、いずれは手に職をつけたいと思っていましたし、華々しい世界で活躍する従妹に憧れもあって、自分もそれに一歩近づけるチャンスが、今自分の目の前にあるのかと思うと、それはもう胸が高鳴りました。

これは折角のチャンスだし、どうせなら基礎からすべて覚えたいと思い、私はそのスクールに入学する決意をしました。半年間スクールに通って、23歳の時にエステティシャンのコースを修了しました。スクール修了後から約3年半の間、私はそのお店でエステティシャンとして働きました。

エステティシャンの仕事はとてもやりがいがあって、毎日が楽しかった。エステはただ見た目を美しくするだけではなくて、お客様の日頃の疲れを癒し、リラックスできる時間を提供して、ここへ来てリフレッシュして頂けるように、自分なりに工夫をしながら施術に入っていました。身体の中から、心の中から健康で美しくなって頂きたい、その思いを持ちながらいつもお客様に接していました。

お客様との信頼関係が出来てくる中で、次第に自分を指名して下さるお客様がどんどん増えていって、それが何よりもとても嬉しかった。

エステティシャンの仕事は、エステの施術だけではありませんでした。カウンセリングではお客様の話を伺い、その方に合ったコースを提案して契約をしたり、化粧品や健康食品等を販売したりするのもエステティシャンの仕事でした。エステを施術して喜んでもらえることに仕事の遣り甲斐を一番感じていた私は、もう一方の営業的な仕事がとにかくすごく苦手で…。コース契約も物品の販売も苦手で、お客様に無理に商品を進めていくことが本当にできなかった。

エステの施術料金は決して安くはないですが、そのサービスや効果に十分納得されて、契約ができる経済力をお持ちで、私たちが提供する施術を気に入って下さる方であれば、大概の方は、また無理のないその方に合ったコース内容で契約を結んで下さいます。でも、お店的にはそれでは十分ではないという評価でした。もっとバンバン契約を取って、物販でももっと売り上げを伸ばす努力をする様にと、オーナーからのプレッシャーも日増しに強くなっていきました。

そんなに契約を取ったところで、これ以上どの隙間に施術のアポを入れていけと言うのか…。私を含めて今いるエステティシャン3名の予約ボードには、朝から晩まで殆どの時間にお客様の施術の予約が書き込まれている。

契約を取ったエステティシャンが原則としてそのお客様を担当するルールで運営しているので、エステティシャンを増員する気配もない中で、これ以上どの時間でお客様の対応にあたっていきなさいと言うのだろうか…。

お店に対して、そんな不信を抱きながらも、それでも「やりたい事だけが出来る仕事なんて、ないんだから!」と自分に言い聞かせ、契約を望んでいないお客様に対してもエステ契約の営業をかけたり、明らかに健康食品を購入するつもりのないお客様に物品の営業をする日が続きました。

お店からの営業ノルマ
大切なものが
次々に失われていく
悲しみと喪失感の中で…

物品の購入に興味がないお客様でも、皆さん一度は私の営業話に付き合って、話を聞いて下さいました。
でも、結局契約に結びつかなければ、来店の度に同じお客様にまた営業をかけ続けなければならない。
いつも笑顔で来店して下さったお客様も、営業の話になると明らかに険しい表情になっていくのがわかった。
私を指名して、施術にご来店下さいっているお客様の笑顔を私自身が奪い去っているこんな毎日が、もう、辛くて辛くて仕方なかった。
ある日、いつも私を指名して下さっている大切なお客様から、私は止めの一言を受けました。

「もう十分。その話は何度も聞きました。それって、私が購入するまで続くの?買わなきゃここへ来ちゃいけない?そういうしつこい営業がなかったのが、あなたのいいところだったのに。本当残念だわ。もういいです。今のコースは今日の施術が最後回ですけど、もう継続の契約はしません。今日で終わりにします。」

私はその言葉に、何も返せませんでした。来る時がとうとう来てしまった…という気持ちと、もう申し訳ないという気持ちで一杯になってしまった。

ようやく絞り出して出た言葉は「不快なお気持ちにさせてしまって申し訳ございません。本当に…すみませんでした。」と、謝罪の言葉を噛みしめながら、ただただ謝る事しかできませんでした。

「あなたも仕事なんだろうから、やりたくてそんな事している訳じゃないんでしょうけど。でもね、それじゃ、もう来たいと思わなくなっちゃう。あなたに会いに来たいと思わなくなっちゃうよね。なんでわざわざお金払ってこんないつも重たい気もちにならなきゃいけないの?って。たまの休日がこんなんじゃ、もううんざりしちゃうの、わかるでしょ?あなただって忙しく働いている身なら、たまの休みの日の時間がどれだけ貴重で、サロンに来て私が何を望んでいるのかぐらい、わかるでしょ?折角いいお店見つけて、いいエステティシャンに巡り合えたと思ったけど、本当に残念。前はこんなんじゃなかったじゃない。どうしちゃったの?」

お客様は、私の施術を気に入って毎回私を指名して下さり、ご来店されると色んなお話をされて、お店を出る時はいつもスッキリとした表情で「今日も気持ちよかった~。また今月も頑張ろっ。じゃ、また来月宜しくね!」と、後ろを振り返り、笑顔で私に向かって両手で手を振って下さっていた。お客様のその笑顔を生み出すことが私の何よりの仕事の遣り甲斐だったはずなのに、今の私はそのお客様の笑顔を自らの手で潰している。自分が築き上げたものを自分の手で破壊していくことの切なさは、言葉では言い表せない苦しみがありました。

お客様はこの日は何も話さず、後ろを振り返ることもなく、両手で手を振ることもなく、お店を出るとそのまま原宿の街の中へ消えていきました。

私はお客様をお見送りし、その後姿をずっと見つめていました。また一つ私の大切なものが失われていく喪失感、大切なお客様が自分から去っていく悲しさを感じて、ずっと我慢していた涙がジワリと滲んできました。またすぐ次のお客様の予約が入っていた私は、とっさに涙を拭って店内に戻り、メイクを直して、何もなかったかのようにまた笑顔で次のお客様をお迎えしました。

その日、私は帰宅すると、今までこらえていたものが一気に溢れ出して、泣きに泣きました。
身体中の水分が全部出きってしまうんじゃないかと思ったくらい、涙が止まらなかった。
人間って、こんなに涙が出るもんなんだなぁと思いました。

私の人生って何なんだろう…
自分らしさを日に日に失い
泣いてばかりいたあの頃

サロンでの営業プレッシャーは日々強さを増していきました。最初は私以外に2名居た先輩エステティシャンは相次いで店を去り、気が付けばサロンに残ったのは私一人。自分のお客様以外に、2名の先輩に付いていたお客様の施術も、唯一サロンに残った私がすべて担当するようになりました。

朝は8時に家を出て、10時30分には出社して、夜は10時30分まで休みなくお店で仕事をやっていました。夜10時30分に店を出るのは、逗子の家に帰るまでの交通手段が無くなってしまうため。その事がなければ、恐らくもっとお店で仕事をしなければならない状態だったと思います。それでも、家に着くのは深夜0時過ぎ。そうやって朝から晩までビッチリ施術の予約を入れて対応していましたが、お客様のご都合もあるので、その日しか来れないというお客様がいらっしゃれば、たとえ休日であろうとお客様に合わせて休日出勤なんてことはいつもの事。
平均して月に4~5回の休日は、1日中泥の様に寝て終わり、それ以外の日は全て仕事でした。 1週間の溜まった疲れを1日中寝て過ごすことで何とかカバーして、また6日間毎日実家のある逗子から片道2時間、往復で4時間かけて明治神宮前のサロンに通勤する、その繰り返しでした。

「友人ともしばらく会ってないな…家とサロンの往復以外、ここ最近はどこにも出かけていない…こんな状態、いつまで続くんだろう…。」

通勤電車の中で、そんな事を私は毎日考えていました。

私はいつもの様に、タイムリミッドギリギリまで仕事をして電車に駆け込みました。そして、またいつもの様に「私の人生って何なんだろう…」と、もはやルーチンと化した脳のお仕事をしている時、ふと電車の窓ガラスに映し出された自分の顔を見て、ゾッとしました。そこには、魂の抜けきった、自分でも見たことが無い様な恐ろしい表情の自分が居ました。

「嘘でしょ…。これ、私?」

もう絶句です。

そこには、目の下にクマが張って、瞳は死んでいる、窶れて、疲れ果てた自分の顔がありました。こんな顔で、私は街の中を歩いていたの?こんな顔して、サロンに出ていたの?こんな魂が抜けきってしまった顔をしながら、お客様に美しくなることを提案していたの?

そう考えるとあまりのショックに、帰宅すると家族にただいまも言わないまま、自分の部屋に直行して一人泣きました。

「彩夏おかえり。どうしたの?ただいまも言わないで。何かあったの?」

母は心配して私の様子を部屋に見に来ました。

「お店から、売上をもっと伸ばしなさいと連日プレッシャーがかかっていて、でも、お客様に無理に売りつけるとかできなくて、先輩はみんな辞めていくし、結局私が一人でお客さん全部引き受けて、朝も開店から閉店まで全部ひとりでやって、休みも返上して施術して、それでも、売り上げが伸びないから…。」

母に話そうとすると、言葉よりも先に感情が湧きあがってきてしまい、嗚咽して、途切れ途切れに単語を並べるので精一杯でした。そんな風にやっと話す私に、母はティッシュを差し出しながら

「そんな労働環境はブラックすぎることぐらい、彩夏だってわかっているんでしょ? 自分の身体壊したらどうすんの?どうしようもないでしょ。お店崩壊する前に、それじゃ彩夏が先に崩壊しちゃう。自分の身体壊す前に、もう辞めなさい。辞めて、少し休みなさい。あなた毎日こんなに遅く帰ってきて、朝も8時前に出て、休みも殆どなくて、身体がもたなくて当然だわ。ね、もう辞めなさい。とりあえず着替えて、ご飯食べなさい。」

母の言う通りです。でも、先に辞めた先輩のお客様も今全部自分が担っていて、唯一エステティシャンで残った私がここで辞めたら、お客様の施術をやれる人がお店にいなくなってしまう。辞めたいけど、辞める訳にはいかない…。

そう考える一方で、今のままじゃまずいと思う自分も居るのですが、じゃあどうしたら今の状況を脱出できるのか、あの頃の私は追い込まれすぎてしまって、前向きに建設的に考える思考能力はもうありませんでした。母が言う様に、私は壊れる寸前だったのかも知れません。

これまで、何よりも仕事を最優先にしてやってきて、友達や家族と出かける約束があっても、お客様から「その日しか来店できない」と言われれば、約束をキャンセルしてサロンに出ていました。またどうせドタキャンになるんだろうと思うと気が重く、友人達との飲み会の約束もそう簡単にできなくなってしまい、仲の良い友人達ともしばらく会っていませんでした。

みんなどうしてるかな…と、無性に友人達に会いたくなって、私は久々に仲の良い友人達と飲みに行く約束をしました。

気心知れた友人4人に囲まれ、食事をしてお酒を飲んで、腹の底から笑いました。久々に素の自分になれた。他愛もない話をしながら過ごすその時間は、私にとって大きな癒しでした。
私以外の4人は結構ちょこちょこと会っている様でしたが、私がこうしてみんなと顔を合わせるのは本当に久々だったので、空白の時間を埋めるかの様に、互いの近況を報告し合いました。高校卒業後はそれぞれ違う道を歩んでいる5人ですが、社会人になってからも仲良しの関係が続いている事が、私は凄く嬉しかった。

そこには損だの得だのと言った利害関係なんてなくて、みんなお互いの事を本気で心配したり、応援したり、味方したり、親身になって支え合う、本当に気心の知れた親友達が居てくれた。独りじゃないんだと思えた時間でした。

「でもさ彩夏、いくら何でもちょっと忙しすぎじゃない?? 1日12時間労働って、もう完全ブラックだわそれ。しかも週6日勤務?過労死ボーダーライン軽く超えちゃってんじゃん。」
「でも、そこまで働いているってことは、それなりに稼げるから辞めないでやれてんでしょ?」

その時の私の給料は、額面で大体毎月18~19万で、毎月手取りにすると14~15万の給料でした。友人達にその事を伝えると

「彩夏マジそれヤバイって。1日12時間で週6勤務、時給600円、それ時給に換算したら600円だよ。」

「いいように使われすぎだって。彩夏真面目だからなー。彩夏が辞めてお客さんがどうなるかは、オーナーが考える問題だよ。大体、エステティシャン3人しかいないサロンで2人も辞めてんのに人補充しないとか、今まで3人で抱えてたお客を彩夏に全部背負わせて、それで給料15万とか、マジでありえないんですけど。彩夏、本当に考えた方がいいよ。エステやりたいなら、サロンはそこだけじゃないって。」

みんな、それぞれ違った職に就いてはいるものの、8時間勤務がベースで、完全週休2日制で、私の倍はお給料を貰っていた。

みんなの言う通りだと思いました。
毎日毎日朝から晩まで働いて、深夜0時過ぎに帰宅して、朝は8時に家を出て、それでいて、唯一の週1日の休みに友人や家族と出掛ける約束をしていても、お客様の都合で出勤になれば、それすらもかなわない。そして給料日には、14万~15万のお給料が振り込まれている。

こうしてたまに友人と会って食事して仕事の話になっても、どうしてみんなは8時間の労働で、仕事が終わればショッピングしたり友達と会って飲みに行ったり楽しく毎日過ごしていて、それでいて私の倍近いお給料がもらえているんだろう。
それが普通なの?
つくづく、私、何やってんだろう…と、自分に嫌気すら感じました。

憧れて、好きで選んだエステティシャンの道でしたけど、あの頃の私は、考え込んでは泣いて過ごす、そんな日々を送っていました。こんな気持ちの私に施術されているお客様に対して申し訳ない気持ちがいっぱいになって、泣きながらお客様の背中を施術したこともありました。

エステティシャンから介護職へ
気持ちを新たに再出発!

抜けたくても抜けられない・・・。辞めたい、けど、辞められない…。

私はさらに追い込まれていき、翌日の仕事のことを考えると夜も眠れない日が続きました。次第に、2時間おきに目が覚めるような状態になって、日中の時間帯も身体は怠く、思考も鈍くなり、自分でも、とうとう身体が壊れ始めたと思いました。
これはもう、きっぱり見切りをつける時だと思い、3年間半働いたエステティシャンの仕事を私は辞めました。
仕事を辞めてから、3ヶ月くらいの間は何も仕事をしないで家で過ごしました。何もしないで、少し休みたかった。何かを始める気力なんて、全くありませんでした。

仕事を辞める直前には、夜も眠れず2時間程度で目が覚めるような状態が続いていたのですが、仕事を辞めて休み始めて1ヶ月位経った時点で、私の健康状態はすっかり回復しました。夜もぐっすり眠れるようになって、何か仕事をしたいという意欲も芽生え始めた。でも、同じ業界はもう嫌でした。

就職サイトを色々見ながら、次の仕事を探していました。もともと介護の仕事は、母が介護の仕事をしていたので興味がありました。もし介護の仕事をするなら、何か資格を取ってから採用試験を受けた方がいいのか、もしこの近辺の介護施設で働くとしたら、どの施設がいい施設かなど、介護士の母に色々と相談しました。
すると母が「どうせだったら、うちの施設に来てみたら?」と、自分が働く特養施設の介護の仕事を勧めてくれました。
「でも、親子で同じ職場って、マズいんじゃないの?」と私が言うと、「多分大丈夫。大きな施設で全室個室ユニット型の特養だから、殆どの時間はユニットの中で仕事するようになると思うの。顔を合わせる機会もそうそうないと思うから。ちゃんとした法人だし、労働条件とか教育体制とか、色々な面でいい施設だから、ここならお母さんも安心だな。」と、ラスール金沢文庫を勧めてくれました。

Koyama Collegeという、介護福祉士の資格を取得するための実務者研修の学校を施設で働く職員のためにグループで設立していて、勤務先となる介護施設の中に教室を設置しているから、働きながら職場内で研修を受講して介護福祉士の資格を取れる制度がある事も聞きました。これまで、介護の事も福祉の事も専門的に勉強したことなんて全くない私が入職して、本当に大丈夫なのか不安があったのですが、勉強会や研修等の教育体制がしっかりしているから、私と同じように別の畑から転職してきている方も多く活躍している話を母から聞き、それならやりたい、やってみたい!と思いました。どうせなら、一から勉強して介護福祉士の資格も取りたいと思いました。

始めての看取り
お客様の想いに触れて
新たな目標に向かう

ラスール金沢文庫に入職して、配属先ユニットの先輩から一つひとつ仕事を教わり、少しずつ出来る事が増えていきました。ユニットで暮らすお客様の顔と名前も覚えて、お客様とお話したり関わったりしている時間が何よりも楽しく、あっという間に時は過ぎました。

毎朝一番早く起きてユニットの入り口まで新聞を取りに行くお客様、お風呂上りは決まってノンアルコールビールをグイグイ飲み干して「俺はこのために生きてる!」と満面の笑みを見せて下さるお客様、日曜の夕方は毎週リビングのテレビで相撲中継を楽しまれるお客様、皆さんそれぞれに自分のペースで生活を楽しんでおられました。ここで暮らすお客様も、ここで働くユニットのスタッフも、私はこの空間が、このユニットが大好きでした。

ユニットの中には看取りの段階に入ったお客様もいらっしゃいましたが、今までと大きく変わったこともなくて、毎日落ち着いた生活を送られていました。

私はいつもの様に早番勤務を終えると、そのお客様の元へ立ち寄り「また明日ね!」とハイタッチしながら声をかけて、勤務を終えて帰宅しました。私は翌日は夕方まで研修だったので、朝から1Fの研修会場に缶詰になっていたのですが、研修修了後に、その方が亡くなった知らせを受けました。私は急いでユニットに行きました。

「〇〇さん、私、仲川です。聞こえますか??〇〇さん、私来ましたよ。昨日『また明日ね!』ってバイバイしたから、ちゃんと来ましたよ。」

お客様は穏やかな表情をしていました。深い眠りについただけで、また朝日が昇れば目を覚ましてくれるのではないかと本気で思いました。私はお客様の頬をそっと両手で包み込んで、もう一度名前を呼びました。

「〇〇さん…」

やはり目を覚まされませんでした。
私は、お客様の少し乱れた髪を何度か手で撫でながら整えて、枕を包んだタオルも整えたくて、両手で頭を少し持ち上げました。お客様の首は、まだ少し温もりが残っていました。

すごくショックでした。看取りのお客様だったので、自分の中では近くそういう日が訪れる覚悟はできてはいたものの、お客様の死が、こんなにショックな事だとは知りませんでした。特養だし、看取りと言われて覚悟はしていたし、仕事だし、必ずこういう日は来るのだから、そんな風にクールに考えるように努めたつもりでいましたが、ダメでした。人の死は、やっぱりショックだし悲しい事なんです。人の命って、それだけ大きくて、尊いものなんだと、私は大きなショックと悲しみを受けて、改めて感じました。私にとって、このお客様が初めての看取りのお客様でした。

これだけ大きなショックを受けた私ですが、お客様の看取りに後悔はありませんでした。
ただ、この経験があって、ここで介護士として働くという事は、人生の最期の最期までここで暮らすお客様と最後の瞬間まで一緒にいる人なんだな、という事を改めて再認識させられました。
だったら、お客様と最後まで一緒にいる人として、お客様にして差し上げられることをもっと増やしたい。私自身がもっともっと成長して「ここで、この人に介護してもらえて良かったな。最後まで一緒に居てもらえて良かったな。」と思ってもらえるような介護士になりたいと思いました。

つい最近、私は別のユニットへ異動になりました。
自分のユニットのお客様のことが大好きだった私は、これまでのユニットを離れてしまうのがとても寂しかった。せめて、お客様にご挨拶をしようと、前のユニットに荷物を取りに行った時にお客様のお部屋を訪問して、ご挨拶に回りました。

「今度、別のユニットに行く事になっちゃいました。しばらくお会いできないかも知れませんけど、同じ建物の中には居ますから、是非次のユニットの方にも遊びに来て下さいね。私ももしかしたら時々顔を出させて頂くかもしれません。」

そうお伝えすると、お客様がボロボロと泣き始めました。

「他のユニットに行って、そっちの方が楽しくなっちゃって、私のこと忘れちゃうなんてこと嫌よ。私のこと忘れないで。ね、お願い。」と、涙ながらにそう仰って、私の手をいつまでも離そうとしませんでした。
お客様が、ここまでの信頼を私に寄せて下さっていたことを私は初めて知りました。そして同時に、お客様にとって、ご家族とはまた別に、身近に頼れる者は、もう私たちしか居ないのだという事も、痛いほど伝わってきました。

お客様のこの想いを私はしっかり受け止めていきたい。お客様には、何にも怯えることなく、心細い思いをすることなく、寂しい思いもすることなく、安心して、自分らしく楽しく日々の暮らしを送って頂きたい。
そのためには、私自身がもっともっと成長しなければならない。もっともっと知識をつけていきたい。
日々の仕事を通じて、私は新しい目標が見つかりました。
仕事をしていても、こういう場合どうしたらいいのだろうとか、身体の状態はどう看ていったらいいのだろうとか、私にはまだまだ分からないことがたくさんある。お客様のためにも、自分のためにも、もっと知識を身に付けて、お客様に安心して生活して頂きたい。
私の胸に、熱いものがこみ上げてきました。

休みの日は、友人達と
ディープな横浜で飲み歩き?!

ラスール金沢文庫に入職してからは、毎日がとにかく楽しい。仕事上のストレスはほとんどありません。
入職するまでは、夜勤もあるし、体力勝負なところがあると思って心配していましたが、それでも全然辛いと思いません。
正直、前職の様な意味で仕事でキツイと思うことは、何一つありません。

休みもお給料も圧倒的に増えて、休みに関しては土日連休で休みのこともそれなりの頻度であります。
ラスール金沢文庫で働くようになって、私もやっと、年相応の人並みの生活ができるようになったというか(笑)。
ようやく友達と休みを合わせて一緒に遊びに行ったりできるようになりました。だから今は、休みの日はほぼ友達と出掛けています。私もお友達もお酒が大好きなので(笑)。
おいしいものを食べながら、お喋りしながらゆっくりお酒を飲むのが最高に楽しいです。
最近は、仲良しの友人達と野毛あたりの安い立ち飲み屋さんで飲む事にハマっています(笑)。

湖星会での就業を
検討されている方へ

ラスール金沢文庫は職員同士の人間関係も良くて、お客様にもご家族様にも、とにかく人に恵まれているところだと思います。
やはり、職員同士がギスギスしてしまうと、お客様にもそれは伝わってしまうという事をみんな知っているので、負の言葉やマイナスに作用してしまう話はお互いに控えて、いい雰囲気づくりをみんなが意識し、心掛けながら、仕事に取り組んでいます。
そういう心遣いとかプロ意識をみんながちゃんと持っている職場は、おおらかで和やかな雰囲気の中にも、ピッと規律があって、一線の緊張感の様なものもあり、ちゃんとけじめがあって、とても働きやすい環境です。

労働環境はとても良く、ユニットのメンバーが急にお休みになったりしない限りは、基本は定時に仕事を終了できます。年間休日日数も115日+有給で、プライベートの充実はバッチリ確保できます。
お給料は、私の場合、今までのお給料が一体何だったのか?と思えるほど、かなり改善されて、本当に今まで何やっていたんだろうと思いました。「これが正常な社会だよ」と周りには言われましたけど、正常な社会って、本当に素晴らしいんですね(笑)。

仕事を通じて目標を持てて、日々学んで、色々な事を先輩から教わりながら吸収して、こんなに毎日仕事が楽しいなんて。こんな気持ちで働ける職場は初めてかも知れません。

もちろん、仕事は遣り甲斐だったり環境だったり、お金だけじゃない要素が沢山ありますけど、お給料はモチベーションを支えるうえでとても大切な要素なんだとここにきて思いました。今月も頑張った!と思って、明細を見て14万とかだと本当に落ち込みますが、ここにきて、やっと貯金も出来るようになり、ラスール金沢文庫に入職して、私は自分の人生のすべてが好転した様に感じています。

今の仕事や職場に疑問を持っている方、悩んでいらっしゃる方、悩んでいない方も(笑)是非ラスール金沢文庫に遊びに来て、ここの雰囲気を一度感じてみて下さい。一緒に楽しい素敵な施設づくりをしてみませんか?
皆様のお越しをお待ちしております。

Profile

神奈川県逗子市出身。平成30年8月にラスール金沢文庫に介護職員として入職。
元々人と接する事が好きだった事もあり、高校卒業後はフリーターとして飲食店に勤務。その後、憧れの美容業界へ身を投じ、エステティシャンとして約3年半活躍した。これらのキャリアを通じて身に付けた接客マナーや接遇スキルは、介護の現場において必要とされるホスピタリティマインドを育む中で、彼女の大きな強みとなっている。平和を愛し、優しくて穏やかな性格の彼女から滲み出る温かいオーラには、周囲の人たちの心をたちまち穏やかにし、優しい気持ちをどんどん引き出してくれる力がある。
屈託のない、まるで天使の様なこの笑顔が、今日もお客様の心を和ませて、ラスール金沢文庫の温かく平安な暮らしを支えている。
一方で、実は彼女、このエンジェルスマイルからは想像できない程の大の日本酒好き。一晩かけてお酒をひたすら飲み続けられるという。夢は、介護福祉士の資格を取得して、お客様に高い技術力でケアにあたれるようになることと、レア銘柄の高級地酒一升瓶を一晩かけて空ける事。野毛周辺で一升瓶を抱える天使を見かけたら、それは、もしかすると彼女かも知れない。

介護職の先輩インタビュー