先輩の活躍

刺激のある暮らしの中で
お客様のいいところを
沢山引き出していきたい


特別養護老人ホーム
ラスール金沢文庫

平成30年4月 新卒入職

介護職

吉川 七恵 さん Nanae Yoshikawa

祖母と過ごした幼少期

高校卒業後、これがやりたい!というものも特になくて、先ずは色々とやってみようと5年間位しばらくアルバイトをして過ごしていました。コンサート会場やスポーツ試合会場等の会場管理のバイトだったのですが、これがすっかりはまってしまって(笑)。軽い気持ちで始めたのに、結局は大学を卒業するまでそのバイトを続けました。気付けばすっかり古株になっていて、アルバイトなのにチーフにまで昇格していました(笑)。

高校を卒業後、しばらくの間フリーターとしてバイトをしていた頃は、時間にも比較的ゆとりがあったので、同居する祖母の身の回りのお世話も私がしていました。歩行が困難だったので、家の中を歩いて移動したりお手洗いに行ったりするときに誘導を手伝ったり、あとはバイトに行く身支度をしながら祖母の昼食を準備して(と言っても、調理は全て電子レンジですが・・・)、バイトに出かけるのが日常でした。

私の両親は自営業で共働きでしたので、私と姉は小さい頃から祖母に面倒を見てもらいながら育ちました。箸が上手に使えない子どもの頃は、箸で小豆を掴む練習を一緒にしてくれたり、夏休みの宿題で工作があれば、それも一緒に作ってくれたり。一緒に作ってくれたというより、実質8割方はおばあちゃん作ですけど(笑)。

祖母は毎日台所に立って、私たちの昼食や夕食の支度をしてくれました。物心ついたころから一緒にいる時間が長かったので、祖母との思い出は沢山あります。一緒に過ごした時間は、両親よりも長いかも知れない。それぐらい祖母は、私にとってとても近い存在でした。

時の流れとともに、私や姉はどんどん成長して大人になって、当然ですがその分祖母は少しずつ年老いてきて。
ある時、祖母が自宅で転んで、大腿骨を骨折する大怪我をしてしまいました。手術のためしばらく入院して、容体が安定して退院してきたのですが、退院後は家の中を歩くのにも松葉杖をつきながらの生活で、それはもうとても不自由そうでした。これまでは、自宅にいる時はいつもじっとしていることなく、炊事や洗濯など、家の事を何かしらやって過ごしていた祖母でしたが、この怪我がきっかけで台所に立つことは一切なくなりました。

「自分たちのご飯は自分達でどうにかしなさいね。おばあちゃん、もうできないんだから。」
祖母はそう言って、毎日テレビの前の席に座りながら、新聞を読んだりしながら一日を過ごしていました。

新聞の紙面を静かに開く祖母の後姿が、何だかとっても小さく、今まで見た事がないくらい華奢に見えました。
「おばあちゃんって、こんなに小柄だったっけ?縮んだ?それとも、私が大きくなったのかな?両方あるか。」
心の中でそんな独り言をつぶやきながら、祖母の背中をしばらく見つめていました。するとなぜか、子どもの頃から今まで祖母に可愛がってもらった時のこと、祖母と過ごした時間がつい先日の事の様に、鮮明に次々と頭に浮かんできました。私にとっては当たり前だった日常、今こうして振り返ってみると、そのどれもが祖母の愛情に溢れていた。どれだけの愛を注いでもらって私たち姉妹は育てられたのか、これまで気付く事のなかった祖母の大きな愛を改めて知って、感謝の気持ちが一気に込み上げてきました。苦しいほどに胸が熱くなりました。

もともと私の祖母はあらゆる意味で自立した人で、人を当てにせず、人に頼ることもせず、何でも自分でやる人でした。そうやって生きてきて、それが板についている感じとでも言うのでしょうか。だから尚更のこと、自分の身体が思うように動かせないことにも、自分のことすら自分で満足にできなくなってしまったその状態にも、苛立ちを隠せなくなってきている事が私にも伝わってきました。きっと大きなストレスを抱えていたんだと思います。人にお世話をすることはあっても、お世話をしてもらうことには慣れていない祖母でしたので。
そんな祖母の思いを察すると、今の状況を何とかしてあげたいと思うのですが、具体的に何をどうすればいいのかがわからず気ばかりが焦ってしまい、ただただもどかしいまま、時間だけが過ぎていきました。

そしてまたも祖母は自宅で転倒し、大腿骨を骨折して入院することになりました。手術は無事に終えましたが、この2回目の入院の時、祖母に大腸がんが見つかりました。しばらく入院していたのですが、病状が安定した状態になったからと、退院を勧められました。入院中、祖母はずっと不穏状態が続いていて、これ以上病棟で看ていくのは難しいと言うのです。病院からは、何とか退院の方向で調整する様に言われました。
祖母は入院してから、まるで別人のようになってしまったんです。

祖母の介護を通じて
介護福祉の世界に出会った

いつでも優しくて、穏やかで、介護が必要になってからも私や家族の事をいつも温かい眼差しで見守ってくれていたあの祖母の面影なんて、もう微塵もなかった。表情がこわばっていて、口調も目つきも表情もすごく厳しくて、家族に対しても、病院のスタッフの方に対しても、もう別の人のようになっていた・・・。
家族としては、せめて骨折が完治するまで病院でしっかり治療することを望んだのですが、病院の方からは「ご家族が一緒じゃないと、もう入院はできない」とまで言われました。
病院からそう言われたことも、別人のようになってしまった祖母にも、とにかくショックで。私たち家族に突き詰けられたこの現実をすんなりと受け入れる事なんて、とてもできませんでした。今思い返しても、色んな思いが頭をよぎって、胸が苦しくなります。

この状態で退院してきたとしても、以前の様に家族で介護ができるものなのか・・・私たち家族も、もうどうしたらいいのかわからなくて、かなり追い込まれていました。家族の誰もが介護に関する専門的な知識もなくて、これから先、おばあちゃんどうしようか・・・と、家族で話し合いをしても何の答えも出なくて、また話し合ってみるものの何も決まらない。完全に煮詰まっていました。

そんな時、地域の包括センターの存在を知り、私たちは早速窓口に相談に行きました。
祖母の病状、入院が継続できないこと、退院を迫られていること、私たち家族が今置かれている現状をすべて話しました。

「そうでしたか。それはご家族も苦しかった、辛い思いをされましたね。もう大丈夫ですよ、安心して下さい。」

私たちの話を聞き終えると、担当の方がそう言葉をかけて下さいました。一筋の光がスッと差し込んできた様でした。
この一言で、私たち家族の心は本当に救われたんです。
そこからは、社会福祉士の方やケアマネの方が力になってくれて、行き詰っていたものが一気に流れ出し、あらゆる事がスムーズに進んでいきました。
地域包括センターからの紹介で担当のケアマネージャーさんが決まり、デイケアや介護老人保健施設のショートステイの利用を提案してもらいました。祖母が退院して自宅に戻ると、すぐにデイケアと老健のショートステイの利用を開始しました。
地域包括センターの方とのやり取りの中で「こんな仕事もあるんだな」と、私はその頃から社会福祉士の仕事に興味を持ちはじめました。

ある日突然、家族の介護問題に直面する人は少なくない。もしある時、家族に介護が必要になったら、誰だってどうしたらいいのかわからない。何度も何度も経験して百戦錬磨になっている人なんてそうそう居ないはずです。そんな家族たちの力になる社会福祉士の仕事に、私はどんどん心が惹かれていきました。見えない出口を模索している私たち家族に一筋の光が差し込んできた時のあの安堵感は、それはもう言葉では表現しきれないものがあった。この時の思い、忘れるまいと思いました。

その後祖母はショートステイをロングで利用する様になり、月に1回程度自宅に戻る以外は、殆ど施設で過ごしていました。
老健からたまに自宅に戻ってくると、そこには両親もわたしもこれまで知らなかった祖母の姿、表情がありました。家でも見たことがない様な、穏やかで、優しい祖母の姿。同じ祖母なのに、病院に入院した時とはまるで違った。
こんなにも祖母のいいところを引き出してくれるんだと、私も家族も本当に驚きました。
施設で一体どんなケアを受けていたのだろう…ケアの力って、本当に凄いと思いました。

私は祖母の介護を通じて、すっかり介護の世界に引き込まれました。
その後祖母が特養施設へ入ってからは私も時間にゆとりができて、福祉や介護の勉強を本格的にしてみたくなり、地元横浜にある大原学園の介護福祉コースに入学しました。その時私は23歳。
高校の同級生たちは、大学を卒業してちょうど社会に出る年でした。5年前、同級生がみんな大学生になる年から私はフリーターとして働きはじめて、みんなが社会に出る年から、私は学生を開始して(笑)。みんなと順番は違ったけれど、自分が本当にやってみたいと思うものが見つかって、勉強したい気持ちに溢れて専門学校に入学したので、入学した頃は希望に満ちていました。私がこんな気持ちになるだなんて…。自分自身が一番驚きました。
本当、人生って何が起こるかわからないですよね。祖母の介護を通じて、私はこの介護福祉の世界に導びかれました。

「社会福祉士としての業務に就くなら、
先ずは介護のことを知らないとできないぞ」
先生からのアドバイスで、介護職を目指す

専門学校は2年課程なので、入学してしばらくすると「就職活動」の話が出る様になりました。介護福祉士の他に社会福祉士の資格も取得したいと思っていたので、早い段階からその思いを先生に伝え、どのルートで勉強したり資格を取ったりしたらいいのかを相談して、色々アドバイスをもらっていました。大原学園の先生は、どうするのが私にとって一番プラスになるのか、とても親身になって一緒に考えてくれました。

「高齢者の分野で社会福祉士としての業務に就くなら、先ずは介護のことを知らないとできないぞ。介護を知らないまま突き進んだとしても必ずどこかの段階で躓いて、自分が苦しむことになる。だから、焦らないで、着実に身に付けて、目標に近づいた方がいい。」
そうアドバイスを頂いてました。その記憶がずっとあったので、就職する際は、先ずは介護福祉士として介護の仕事をしようと心に決めていました。

専門学校卒業時に、介護福祉士の資格を取得しました。そして、社会福祉士の資格も欲しかった私は、受験資格を得られる大学へ編入しようと思い、神奈川県立保健福祉大学の2年次に編入しました。そこから3年間の学生生活は、もうあっという間(笑)。編入して1年が過ぎ、3年生になると、また学校は就活ムードになって。実習だったり、社会福祉士の国試の勉強だったり、やることが色々あるので、本当にあっという間に時間が過ぎました。
大学には、この業界以外の、いわゆる一般企業からの求人も沢山届いていました。クラスメイトの中には、医療や福祉以外の分野であったり、公務員を目指す人も一定数おりました。
でも、おかげ様で(笑)私の中で進路がブレることは一度も無くて、地元の横浜で、介護施設で介護職として先ずは働きたい気持ちで就職活動をしました。

「できるだけ沢山の施設を見学した方がいい」と、ゼミの先生からも伺っていたので、横浜市内の施設を何か所も見学に行きました。そしてその中で、自分がいいと思った施設を最終的に3か所にまで絞り込みました。
1か所は、大原学園時代に実習でお世話になった施設。もう1か所は、正直、地元での評判は良くなかったものの施設見学での印象が良かったところ、そしてもう1か所が、ラス―ル金沢文庫です。
どの施設も、それぞれにいいと思うところがある。あれだけの数の施設を見学して自分の中で絞り込んだ3か所ですから、どこもそれぞれの魅力があって、本当に悩ましい。

結局、悩みに悩んでゼミの先生に相談したんです。
そしたら先生が「それぞれの施設のいいところ、ダメなところを言ってみて。」と。私が知る限りの情報すべてと、私なりの印象を話しました。本当にズラズラと、結構長い時間話しをしました。
その話を聞いて下さった先生は、
「教育体制のいいところの方がいい」ということと「基盤がしっかりしている法人の方がいい」と。
たった二つのアドバイスは実にシンプルですけど、でも肝となるポイントをズバリ、アドバイスして下さった。そして私は、第一志望をラスール金沢文庫に決めました。

現場に出て痛感することは
勉強がまだまだ足りないという事
今、一番学びたい意欲がある

入職して丸1年が経過しましたが、1年という期間があると色んな事ができるんだなぁと、この1年を振り返るとつくづく思います。
湖星会に入職して、4月に入職式が終わるとすぐに新入職員研修があって、それが終わると今度は湖山グループの合同入職式があって、あっという間に1カ月が過ぎました。
配属になったユニットのお客様の顔と名前を覚えることから始まり、お客様に関する情報を頭にインプットすることに一生懸命だった5月。先輩職員から介護技術を学び、学べば学ぶほど、想像していた程出来ない自分を知ることになった6月。こないだまで苦戦していた事がある時スッと出来るようになって、また一つ、また一つと出来る事が増えていき、だんだん仕事が楽しくなってきた9月…。

夜勤を先輩と一緒に何度か経験し、初めて夜勤一人デビューを迎える日のあの緊張感。帰宅願望のあるお客様に「ここは地獄だ」と言われた日のショック。そしてそのお客様が私の手をぎゅっと握りしめて「ありがとう」と言って下さった日の嬉しさ。

本当に中身の濃い1年を過ごしたと思います。

基本的な介護技術も身に付いて、早番業務、遅番業務、夜勤業務と、一連の仕事ができるようになって、最近はようやくお客様とじっくり向き合ったり、今度こんな事をやってみたい、と思える心のゆとりが自分の中に出てきた様に思います。

お一人おひとりとじっくり向き合ってみると、これまで気付かなかったお客様の別な一面が見えてくることがあります。お客様をわかったつもりでいた自分、まだまだ知らない事が沢山あるぞ!と、その発見は私にとって、ただ新鮮なだけでなく、ほんの少しですがお客様に近づけた様な気がして嬉しくなります。

そしてお客様を知れば知るほど、まだまだ自分自身、勉強が足りていないという事に気付かされます。
専門学校では介護福祉、大学では社会福祉をビッシリと勉強してきたつもりでいますが、それだけでは、現場でお客様の対応にあたるのに十分な知識を備えたとは到底言えない。お客様の中には、認知症のお客様も、糖尿病の方も、脳梗塞の後遺症で麻痺が残っている方もおります。認知症についてもっと勉強して、不穏時の対応力を身に付けたいですし、糖尿病に関する知識をもっと得て、お客様の日々の生活をサポートしたい。脳梗塞やパーキンソン病など、高齢の方に見られる病気についてもちゃんと理解した上で正しいケアを実践していきたいですし、お薬に関する勉強もしたい。

私がこんなに学びたい気持ちが高まったのは、漠然と「身に着けたいから」「覚えたいから」という空虚な目標設定とは違い、実際に目の前のお客様をもっと知りたい、もっと理解したい、もっといいところを引き出したいと思う気持ちからです。誰の為に、何のためにという具体的なものがあるからだと思うんです。学生時代にただ詰め込む様に勉強していた頃と比べれば、その意欲には全然違うものがあります。だから今、学ぶことが本当に楽しいですし、仕事が楽しい。学びによって得られた知識や技術をお客様のケアに生かせた時は、もう何にも代えがたいほどの大きな喜びを感じます。
お客様のいいところ、出来る事を引き出していくには、先ずはお客様を知る事から。そして学ぶことから。
そこからすべてが始まるという事をこの一年間で身をもって感じました。

お客様にとって特別な一日を
忘れられない2つのお誕生日会

湖星会のこだわりの一つであるお客様のお誕生日会は、同じ月の生まれの方をまとめて一緒にお祝いするのではなくて、おひとりお一人、その方のお誕生日にその方のためだけのお誕生日会を企画して、お祝いするのが恒例になっています。
お誕生日会の企画は、入職1年目の職員でも、自分が担当するお客様のお誕生日会の企画を立てて、中核となって準備を進めて開催します。ご家族をお招きしたり、ユニットの他のお客様とみんなでお祝いしたり、外出を企画して出かけたり。
主役であるお客様にとって、特別な一日となる様な内容で企画しています。
この1年の間に、私が担当者として企画したお誕生日会は2つあります。

1つは、私が初めて企画したお客様で、99歳のお誕生日を祝う会。お客様は甘いものが大好物なのですが歯が1本も無い方で、いつもソフト食を召し上がっていました。
そのお客様のお誕生日会の時には、どうにかして大好物の甘いバースデーケーキを用意したいと思い、私は早い段階から栄養課に相談に出向きました。ソフト食と一言に言っても、お客様の歯の状態や咀嚼嚥下力は一人ひとり違うので、そのお客様が食べられる硬さであったり、形状や舌触りや食感などは微妙に違ってきます。

栄養課の方でも、そのお客様の食形態は十分に把握しており、そのお客様でも召し上がれるスイーツをいくつか提案してくれました。お客様は最近、洋よりも和の甘いものを好まれておりましたので、見た目をケーキの様に仕立てた特製抹茶プリンをバースデーケーキにすることに決めました。栄養課に依頼して作ってもらい、お誕生日会当日、サプライズでお客様に提供したのですが、これが大正解!
お客様はすごい勢いで召し上がった。最後はお皿に付いたクリームを舐めてました(笑)よっぽど美味しかったんだなと。こんなに喜んでお食事されているお客様の様子を見たのは初めてでした。本当に嬉しかったですね。

お誕生日会を開催した次の日も「昨日のあれ、今日はないの?」と。そしてその数日後も「こないだのあれ、次いつ出るの?」と。これだけお客様の記憶に強く残った特製抹茶プリン。来年のお誕生日会は、どんなケーキにしたらいいか、今から色々と考えています。記念すべき、100歳のバースデーパーティーになりますから!!来年もお客様がお元気で、みんなでお祝いできることを一番に願っています。

もう一つのお誕生日会は、今年の春に開催しました。
そのお客様は、天気が良い日はよく外に出て、ラスール金沢文庫の敷地内にあるミニガーデンの中のベンチまで日向ぼっこに行くんですけど、ちょうど外の桜が満開の時期に私と一緒にガーデンに行く機会があったんです。
春風がふわっと優しく流れると、施設の前の河川沿いの歩道の方から、ひらひらっと花吹雪が届くんですよ。お客様は外に出られるのが大好きな方で、ベンチに腰を下ろすと「ずっとこうしていたいわ。」と仰って、とても穏やかな表情で、満開の桜の向こう側を走る赤い電車をしばらく眺めていらっしゃいました。

「ねえ?あの桜の向こう側に行ってみたいわ。この先、あっちに行ける事って、あるのかしら。」
お客様は私の目をまっすぐ見つめて、そう問うんです。
私は言葉に詰まりました。
するとお客様は「もう行く事なんて、できないわよね。」
うつむき加減で、その場所に行く事以上の大きな何かを諦める様な声で、そう仰るんです。
そしてお客様は、自分の気持ちを吹っ切るかのように「ごめんなさい。返事に困るような事言っちゃった。私はここで十分よ。いい処よね、このガーデンも、この施設も。私、ここが大好きよ。」そう仰いました。

お客様とお出かけがしたい!

何とかして、お客様の望みを叶えたい。
ちょうどお客様のお誕生日会の企画をしていた私は、これは素晴らしい「特別な一日」をご用意できるチャンスだ!と思いました。これまでぼんやりと企画していた企画書は、すべて白紙撤廃!お客様とお出かけする企画を立て始めました。
当然、職員が一人外出して不在となれば、その日の勤務シフトをいつもより1名手厚くする必要があります。早速ユニットのリーダ―に相談すると「いいね。それ絶対実現させたい。やろうよ!」と、力強くバックアップしてくれました。
駅前の大型スーパーまでのんびり歩きながら散歩をして、お客様が大好きな鮮度抜群の握り寿司をそこで買って、一緒にお寿司のランチを楽しむ企画を立てました。お客様にとって、特別な一日になることを願いながら。

誕生日が近づき、お客様にお誕生日会のプランをお伝えすると「え!本当に?」と驚きながらも、満面の笑みで「何着て行こうかしら」と喜ばれ、居室に入り服選びを始めました。その日からお誕生日当日を迎えるまでの数日の間に、私たちはてるてる坊主を一緒に作り当日のお天気が良くなることを祈りながら、1日1日をカウントダウンするようにその日を待ちわびました。
そしていよいよ当日を迎え、てるてる坊主が効いたのか、その日はとても穏やかな春の陽気に恵まれました。お客様と私は躍動する気持ちを二人で分かち合いながら施設を出発しました。お客様は一歩一歩をとても大切そうにゆっくりと歩道を歩き、時折道端の花に目を留め、子どもの頃花摘みをして遊んだ時の話や、ご自宅の桜の木の下で家族みんなで毎年お花見をした時のお話をとても嬉しそうに話されていました。

いつもは施設の中から眺めている赤い電車も、この日は間近に見れて「こんなに沢山人が乗っていたのね。遠くからだとそこまで見えないからね。」と、久しぶりの外出をとても満喫されていました。
スーパーに到着すると、お客様は手馴れた様子でお買い物カートを手に取り「これを押している方が楽チンなの。まるでおばあちゃんみたいでしょ?」と笑いながら、お野菜と果物のコーナーの間をゆっくりと進み始めました。時々商品を手に取って「新鮮でなかなかいいわね」と品定めをしては、私の顔を見てニコッと微笑み、またゆっくりとカートを押しながらお目当てのお寿司コーナーの方に向かっていきます。
ちょうどお昼前だったので、お惣菜コーナーの陳列棚には沢山のお寿司が並んでいました。
「いい時間に来ましたよね、私たち。どうぞお好きなのもを選んで下さい!」とお客様に促すと「沢山ありすぎて迷っちゃうわね。目移りしちゃうわ!」と陳列棚いっぱいに並んだお寿司を一つ手に取り、別な種類のお寿司と見比べて、二人してこれはどうか?あれはどうかと、お寿司選びをしばらく楽しみました。
そして厳選に厳選を重ねて選んだ握り寿司2パックを買い物かごの中にお行儀よく並べて、私たちはレジへ向かいました。

買い物を終え、またゆっくりと施設に向かうと、少し先にラスール金沢文庫が見えてきました。
「ああ、楽しい時間はあっという間ね。もうお家が見えてきちゃったわ。」と、お客様は名残惜しそうに仰いました。
「楽しいひとときがもう一つ残ってますよ。ほら、家に着いたらお寿司食べなきゃ(笑)」
「あ、そうだったわね。お寿司のことすっかり忘れてたわ(笑)」
そんなやり取りをするうちに、私たちの我が家であるラスール金沢文庫に到着しました。

ユニットに戻るとすぐ、私は買ってきたお寿司をお皿に並べ、お吸い物を用意し、お昼の準備に取り掛かりました。
みんなで乾杯してお客様のバースデーを祝い、私とお客様はユニット内に用意した特別席に移動して、お寿司を堪能しました。
「久々のお寿司のお味はいかがですか?」と問いかけると、
「最高よ!もう、言うことなし。美味しい。」と仰って、黙々と握り寿司を召し上がっていました。
お客様はあっという間に10貫のお寿司を平らげ、デザートのバースデーケーキを頬張り「あー、幸せ」と、これまでの中で一番輝きに満ちた笑顔で喜ばれていました。

その日の夜、私は早番勤務だったので夕方には帰宅してしまったのですが、遅番勤務の職員に「今日は駅前のスーパーまで行ってきたのよ。」と、何度も何度もその話をしていたそうです。翌日、私が出勤した時も、お客様はリビングの窓からずっと外を眺めていました。私の姿に気が付くと「ねえ、こっちに来て」と手招きして、「昨日行ったところって、あそこよね?」と、スーパーの建物を指さしながら「ここの道をずっと行ったのよね?」と、しばらく外の景色を眺めていらっしゃいました。

小さなことからでもいい。お客様がその日を待ち遠しくワクワクしながら過ごせたり、我を忘れて夢中になれるような時間があったり、今日が何曜日か曜日感覚を持てるような毎日を過ごせたり、明日に楽しみが持てたり。生活の中にそういった刺激がある事がどれだけ大切なことか、私はこの2つのお誕生日会を通じて学びました。

お客様が輝ける様な刺激を暮らしの中にもっともっともたらして、お客様のいいところを沢山引き出していきたい。
かつて、私たち家族も経験したように、身内の介護で行き詰まり辛い思いをされているご家族がいたら、「安心して託せる場所がここにありますから、どうか私たちに任せて下さい! 」と言えるように、ここラスール金沢文庫が地域の皆さんにとって、そんな場所であり続けられるようにしたいと思います。今度は私が、苦しい思いをされている方へ一筋の光をお届けする番だと思っています。

応募を検討している学生の皆さんへ

福祉系の学部出身ではない方も、介護系や福祉系の学部出身の方も、最初からできる人なんてそうそうおりません。現に私も、介護福祉専門学校で学び、大学で学び、人よりも多く実習にも行っていますが、最初から自立して出来たわけではありません。誰しもはじめは不安が沢山あるものです。わたしも入職したての頃はそうでした。
今だって、認知症で不穏な症状が強いお客様の対応をどうしたらいいのか分からない時があって、先輩職員と一緒に試行錯誤しながらベストを探ることもあります。相手は感情を持った人間ですから、お客様によってそれぞれに最良な対応方法を見つけ出す必要がありますし、決まった答えなんてないことも沢山あります。でも、だからこそ、その一つひとつに向き合い、発見し、クリアしていくことが私たちの遣り甲斐でもあり、そこに学んでいく面白さがあります。

ラスール金沢文庫は未経験の方に対しても、技術面、知識面の両方において、各ユニットの先輩やリーダーがゼロから丁寧に教えてくれますし、施設内においても色々な勉強会が実施されており、学びながら成長できる環境が整っています。毎年沢山の新卒が入職する施設ですので、同期の仲間や先輩職員と励まし合いながら、不安になることなく一つひとつ着実に成長を実感できる環境だと思います。
学べる環境があるかどうかは、とても大事です。自分の成長にダイレクトに影響します。
ラスール金沢文庫は教育体制がとてもしっかりしていますので、安心して飛び込んで欲しいと思います。
本当に素敵な施設ですので、是非一度見学にお越し下さい。お待ちしています。

 

Profile

神奈川県横浜市出身。大原医療秘書福祉保育専門学校卒業後、神奈川県立保健福祉大学 保健福祉学部 社会福祉学科2年次に編入、同校卒。
平成30年4月、介護職として入職し、特別養護老人ホームラスール金沢文庫の長期入所ユニットに配属。
いつも笑顔でお客様に寄り添い、どんなに拒否の強いお客様であってもサラッと対応ができてしまうほどの高いコミュニケーション能力の持ち主。
仕事をきっちりとこなし、周囲へ対する気遣いもできることから職員間の信頼も厚く、配属ユニットでは紅一点ながら、今やユニット全体を力強く支えている存在に。チーム内の予期せぬアクシデントにも決して動じることなく、いつも笑顔で手際よくフォローするその姿は、とても入職2年目とは思えない落ち着きで、貫禄さえ漂う。これも、9年を超えるバイト生活で磨き上げた賜物の一つかも知れない。今後の活躍が大きく期待される、ラスール金沢文庫のルーキー。趣味は旅行と美味しいもの巡り。

介護職の先輩インタビュー