先輩の活躍

目標は実習指導者の資格取得!
若い人たちに
この仕事の面白さを
伝えていきたい

特別養護老人ホーム
ラスール金沢文庫

平成29年 新卒入職

介護職
ユニットリーダー

宮崎 章博 さん Akihiro Miyazaki

介護士の母からは
まさかの大反対

高校卒業後は、テレビ関連の仕事に就きたいと思い、マスコミ業界への就職が強い専門学校へ進学しました。卒業後の進路は念願通り、テレビ番組の制作会社へ就職が決まり、人生は順風満帆に進んでいました。
しかし、いざ就職してみると、先輩スタッフのほぼ全員が会社に寝泊まりしていて自宅には1カ月に1度位しか帰宅せず、仕事がある程度片付けば1日4時間程度地べたに横になって睡眠をとる状況、そんな光景が常態化している職場環境でした。
1日20時間は仕事をしていて、着替えもせず、風呂にも入らず、ひげもそらず頭も油でベタベタで、外からオフィスに入ってくると強烈な匂いが立ちこもっていた。

「これは凄まじい世界に来てしまった・・・」と驚きの連続でした。

でも、先輩方はずーっと何年も何十年もその環境で仕事をしてきているので、何の違和感もなくそれがもう当たり前になっている。

自分がこの状況をずっとやっていけるかと考えた時、やっていけるとは到底思えず、これから仕事を教えて下さるであろう先輩方にご迷惑をお掛けしない様に、早めに見切りを付けて1カ月で早々と退職しました。

当時は、マスコミやテレビ業界の中小企業は、就職絡みのインターンシップや職場見学会等の開催は殆ど無くて、あの頃にそういう制度があればな・・・と思う事もありました。もしあれば、間違いなく活用していたでしょうし、もちろんこんなミスマッチも起きなかったと思います。
今は、多くの企業がインターンシップなどを導入していて、初歩的なミスマッチはかなり防げている。本当にインターンシップの制度はいいと思います。今は、その期間も企業によっては1DAYから長期のものまで実施されているし、これから就活をする学生の方には是非活用して欲しいと思います。
「こんなはずじゃなかった!」なんてことにならないために。

テレビの番組制作会社を辞めた後は、食品関連の工場で4年間アルバイトをしていました。高校時代から、ずっとテレビ関連の仕事を夢見て、専門学校に入りその世界を目指してきていたので、その道が絶たれた後はしばらくやりたいことも思いつかず、ぽっかり心に穴が開いた感じでした。それでも、さすがにバイト生活が4年も経てば、ずっといつまでもバイトという訳にもいかないな・・・と思い、これから何をしようか自分なりに考えました。その時、介護の仕事はどうかと思いつきました。
母が介護士をしていて、仕事の話を日頃から聞いていたので、何となく違和感なくその世界に入れる気がしたんです。

「大変よ。」「あー、今日も疲れたー。」と言いながらも、母はいつも生き生きと仕事に出かけて行ってた。そして、その日施設であった事、施設を利用されるお年寄りの方が喜んでくれたことをものすごく嬉しそうに私に話すんですよ。母は仕事に遣り甲斐を持っていた。
そんな母のことを私は少し羨ましく、誇らしくいつも思っていました。
介護はこれからますます必要とされる職業であるので、一つの職業としてとても魅力的でしたし、何となく自分に向いている様な気もしました。

たまたま母と私の休みが重なった時、自分の気持ちを母に伝えました。
「いつまでもアルバイトって訳にもいかないし、これからの事、少し自分なりに考えた。介護の仕事、やってみようと思うんだ。本格的に。」

母はかなり驚いていました。そして、私の話を聞き終えると「正直、勧められない。他にあるでしょ、介護以外で。」と、介護の仕事に就くことを喜んでくれないどころか、反対されてしまったんです。
それは母が、介護の仕事の面白さを知るのと同時に、その仕事の大変さも知っていたからだと思うんです。体力的な大変さ、待遇面での大変さ、色々なことを懸念したのだと思います。
でも、自分ではもう「介護の世界に飛び込む」と心の中で決めていたところもあって、母があまり芳しく思わなくても介護の道に進みたい気持ちは揺るぎませんでした。

すぐに就職するか、専門学校へ行き勉強して資格を取得してから就職するか、自分でもかなり迷っていてなかなか答えが出せないでいた時、以前バイト先で一緒だった先輩が、その後介護の仕事に就いたと聞いていた事をふと思い出しました。早速その先輩に連絡を取って、自分も介護の仕事を本気で目指したい事を伝え、学校に行くべきか、すぐ働くべきかについて相談しました。

「もし学校に行けるのであれば、学校で学んで資格を取ってから来た方がいいぞ」と、先輩はアドバイスしてくれました。1社目の就職が失敗に終わった事、今の自分の状況や気持ちなど、色んな事を相談したのですが、それに対する先輩のアドバイスはとても納得できるものがあって。自分としても専門学校で学んで、有資格者として就職する方がきっと自分自身、自信を持って介護の世界に飛び込めるだろうと思い、介護福祉士を目指して進学することにしました。
介護の世界に進むことを一度は反対した母も「それでもどうしても介護業界へ進みたいというのなら、進学して学校を出て、資格を持って就職した方がお母さんもいいと思う。」と、最終的には私の気持ちを尊重して、応援してくれました。

私は高校卒業後、テレビ関係の仕事に就きたいという夢を持ってマスコミ関連の就職に強い専門学校へ一度行かせてもらっています。今回の介護福祉の専門学校は、自分の進路を自分の勝手で変更するために行く学校でしたから、当然学費は全額自分で払おうと決めていました。両親は「少し手伝うよ」と、学費の負担を申し出てくれたのですが、そこは自分の中のけじめとして、譲れない部分でもあります。
とは言っても、専門学校の学費はフリーターの自分にすぐに工面できる額でもなく、結局は「学費を貸して下さい」と両親に頭を下げて、私は進学資金を得ました。

看取りは
特別に何かをすることではない
命ある限り
普段の暮らしを継続すること

学生時代は、ボランティアや実習などで、特養、老健、デイ、グループホーム、小規模多機能、養護施設、障がい者施設など、あらゆる施設へ行きました。
最初は障がい者施設の方に興味があったので、実習もそちらの方へ行ったのですが、後に実習で行った高齢者施設で「看取り」について考える機会がありました。
実習先の施設には、看取りの段階のご入居者がいらして、私の実習指導にあたって下さった介護士の方がその方を担当していました。自分自身が直接「看取り」の経験をしたわけではないのですが、担当の介護士の方から看取りに関して色んなお話を伺い、人生の最期の時間を支える特養での仕事について色々と考えさせられるものがありました。

それまで自分は、看取りを見たこともなければ間近に触れる機会もなくて、「看取り」というと、何かそこから特別なことをしているのではないかと、ずっと思っていたんです。例えば、いつもよりも手厚く介護をしているとか、普段とは違う特別なケアを行ったりするイメージですよね。
でも、実際には違った。
「普段と何ら変わらない、穏やかで、時々刺激があって、平安な日常の暮らしを命のある限り継続するように努めている。看取りだから特別に何かをする、ということではありません。だから、それまでのその方の日常の暮らしが大切ですよね。看取りの段階の毎日というのは、結局その延長な訳ですから。」という話を聞きました。
看取りの段階になると、医学的な見地からおおよその余命を知らされることになりますが、リハビリの様な前向きな取り組みを止めてしまうとか、何かをしたところでもうどうしようもないから何もしないとか、逆に普段行わない特別なケアをするとか、全くそういう事じゃなかった。ただ、いつ旅立ってもいいような備えをしておく必要はあるけれど、それ以外は自分が考えていたような何か特別感のあることじゃなかったんです。「いつもの暮らしを命ある限り継続すること」という言葉が、何か「あ、そうだよな」と、自分の中にストンと落ちてきました。

介護士として働く場所は、障がい者施設や高齢者の介護施設、病院など、多々あります。ボランティアや実習を通じ、様々な場所で色んな経験をさせてもらいましたけど、その中でも、自分の中でもっと掘り下げて関わってみたいと思ったのは、障がい者施設と特別養護老人ホームの2つでした。
就職活動を開始して、いよいよ自分の進路を決める時、障がい者施設の方に進むか、特養に進むか、ギリギリまで迷い、悩みました。
そして自分が出した結論は、週末期の生活を支え、人生の最後を看取る特養の介護士の仕事をしたいと思い、特養に的を絞って就活を開始しました。

今まで見た中で
何もかもが1番だった
ラスール金沢文庫

特養に的を絞ったのはいいのですが、一言に特養と言っても、凄い数の求人票が学校にはあふれていました。
この中から探すのかと思うと、本当に気が遠くなりそうでした(笑)。
自分としては、先ずは実家から通勤できるところにあって、介護の方針や取り組みが自分の思いと一致しているところ、看取りのケアに力を入れている施設が近所にあればいいなと思っていました。

あとは、お給料も重要なポイントでした。というのも、私は介護福祉の専門学校に入る際に、その学費を両親に借りて入学していたので、親に多額の借金があるのです。専門学校に通うのは人生で2回目でしたので、学生時代の時間がいかに大事かということはよく理解してましたから、アルバイトは自分の小遣い稼ぎ程度に留めて、勉強やボランティア活動に専念しようと決めてました。
両親から借りた学費は、就職してから返そうと思い、そこはきっぱりと割り切って、今しかできないことを意識的に優先して学生時代を過ごしました。
両親も「それでいい。お金の事なんて心配しなくていいんだから、精一杯勉強して学生をやってらっしゃい。ちゃんと資格取ってきなさい。」とその考えに賛成し、私を応援してくれました。両親には本当に感謝の気持ちで一杯です。
就職を控えたその時期も、両親は「学費の返済なんて気にしなくていいんだ。ちゃんと自分の道を自分の力で切り開いて、しっかり生きていきなさい。」と言ってくれましたが、そこは私もけじめとして返したかったので、働くようになったら実際にどれくらいのお給料が入って来るのか、という点はとても大事なポイントでした。

数ある施設の求人票の中から、ラスール金沢文庫の新卒の求人を見つけました。ユニットケアに力を入れていること、個別ケアに取り組んでいる事、職員一人ひとりがそれぞれ専門職としての立場から能動的に色んな事にチャレンジしている風土、そして教育体制の充実、心惹かれる紹介文に私の心は鷲掴みされました。しかも、施設の場所は実家からすぐ近くで申し分ない。そして肝心な給与を確認すると、これがかなり良かったんです。あんまりこんな事を言ってしまうと、もうお給料上がらなくなったら大変だから大きな声じゃ言えないんですけど(笑)。
オープンしてまだ1年しか経っていない施設だから、中はかなり大変なことになっているのではないか?ショートステイも含めて219床なんて巨大な施設、どうせ人手不足で少ない人数で回しているに違いないのでは?と心配する人も居ましたが、先ずは自分の目で確かめてみないことには何とも言えないので、私は早速施設見学に出向いてみることにしました。

こんなにいいこと尽くしの施設なんて、本当にあるのか?

あったんですよ。見学に行って、先ずは駅からの近さと、建物のカッコよさ、そして施設の規模に驚きました。建物の外観はいつも京急線の中から見ていて、新しくてキレイな施設だなと思っていましたけど、中に入ってみると「ここ、本当に特養?」と言いたくなるくらい、スタイリッシュで、これまで自分が見学してきた特養の中では一番カッコイイ施設でした。有料とか老健とか、色んな施設を総合しても、自分の中では多分ここが一番です。そして、規模がやっぱりデカかった(笑)。ワンフロア4ユニットで6階建て、全室個室の特養でこのスケールって、そうそうないですよね。
こんなにカッコイイ施設だと、生活の場となるユニットの中は、格好良すぎて落ち着かないのでは?と思ったものの、いざユニットに足を踏み入れると、そこにはちゃんと暮らしの場があった。家庭的で温かい雰囲気に満ちていて、今どきの新しいお家で、まるで祖父母が暮らしている様な雰囲気でした。リビングやダイニングキッチンも広すぎず狭すぎず、ちょうどいい広さで、お客様同士や職員の方たちが、丁度いい距離感で過ごしていました。

働く職員さんも、みんな明るくて感じのいい方たちばかりでした。施設見学を対応して下さった職員の方が、色々説明しながら施設内を案内して下さったのですが、長期入所の199室は全て満室で、ショートステイの20室も連日ほぼ満室と伺いました。そして何よりも驚いたのが、職員数の多さです。
横浜市内の特養では、働く職員が集まらなくてユニットを一部閉鎖している施設も少なくないと聞いていた中で、これだけの職員さんが働いているって、それだけこの施設には働く人にとっても魅力があるという事なんだなと、自分の目は間違っていない!と、素直に思いました。

特に看護師の方は、どの施設でも配置基準ギリギリで運営しているところが多いと聞いていましたが、ラスール金沢文庫には20名位の看護職員が勤務していました。これって、この施設規模からすると、通常の配置基準の3倍の数ですよ。すごくないですか?
殆どの方が正職員でフルタイム勤務でしたので、毎日、各フロアに1人ずつ看護師さんが常駐していて、医務室には医務室で数名の看護師の方が仕事をしている。入居されている方の医療的なケアや健康管理はもちろん、嚥下機能が下がった方の食事介助にも入られていて、食事の時のリクライニングの角度や姿勢、どれぐらいの量とペースでスプーンを運んだらいいかとか、細かい点を介護職の方に教えながら介助しいていたんです。何かあればすぐに報告できて、指示を仰げて、相談ができる環境。1フロアに一人ずつ、毎日看護師さんが居るというのは、お客様にとっても、現場の介護職員にとっても、こんなに安心な事はないです。

見学に伺った時点で、自分の心はもう半分決まっていたのですが、一度就職に失敗している自分ですので(笑)そこは「念には念を」です。実際にボランティアで一定期間入ってみて、ラスール金沢文庫で職場体験をした上で結論を出そうと思いました。

ラスール金沢文庫では、1日インターンから長期インターンまで、本人の希望に応じてカスタマイズして下さるので、これはすごくありがたかったです。授業や実習の都合で11日間とか、夏休みを利用して24日間とか、学生の都合でたとえ半端な日数であっても、それに合わせて個別にプランして下さる。
今は、学生アルバイトもあるみたいですから、ある程度の期間入れるのであれば、お給料をもらいながらよりリアルな職業体験もできるみたいで、年々進化してますよね(笑)。

私は施設見学から戻ると、早速ボランティア実習に申し込みました。
そしていよいよボランティア実習当日、ラスール金沢文庫に伺うと、なんと!!
以前バイト先が一緒だった「学校行った方いいぞ」と勧めてくれた先輩がいたんです(笑)。こんな偶然って、本当にあるのか?!?!?それはもうびっくりですよ。
先輩は、ラスール金沢文庫のオープンのタイミングでこの施設に転職してきていて、ここで働いていたんです。
事務所のホワイトボードに書き込まれていた、「〇〇専門学校、実習生1名受入(宮崎さん男性ー自宅金沢文庫)」という私の名前、専門学校の名前に加えて「家は近所」という情報から、もしやこれは、宮崎君?…と思ったらしく、ボランティアの受け入れ担当者に自ら名乗り出てくれて、事情を知った当時の介護長や施設長が気を利かして先輩を担当者に付けて下さったそうです。そして初日に私を迎えてくれたという訳です。
先輩は、「やっぱりそうだったか(笑)。これ絶対宮崎君だと思ったよ。」と大ウケしていましたけど、私はもう目が点というか、びっくりでしたね。でも、ものすごく嬉しかった。
そういう、人の温かさというか、気の利かせ方というか、連携プレーというか、職員間の人間関係もすごくいい雰囲気を感じました。みんな楽しそうに仕事をしていたのがとても印象的でした。

ボランティア実習初日を終えて帰宅すると、私は早速、進路のことも就活のことも一番心配してくれていた母に報告しました。母も同じエリアで介護士をしているので、ためになる情報があればと、知り合いに色々と聞いてくれていました。すると母も、以前職場で一緒だった方がラスール金沢文庫で働いていて、運営状況であったり施設の中の様子であったり、就職説明会ではなかなか聞くことのできないリアルな情報も母なりに収集してくれていた様でした。母も、ラスール金沢文庫はいい施設だということがわかったみたいで「ラスール金沢文庫なら就職先としていいんじゃない?」と、賛成してくれました。
同じ業界の同じ介護士として働く母からお墨付きをもらい、バイト時代から面倒をみてもらった先輩も働いていて、これは間違えない!と、大船に乗ったつもりで安心して飛び込んで行けました。

順風満帆な社会人生活
高をくくっていた矢先に
起こしてしまった事故

入職してすぐの新入職員研修が終わると、それぞれ自分の配属先で勤務となり、介護職で入職した新卒者は先輩職員に習いながらお客様の介護に少しずつ入っていきます。
私は学生時代、色んな施設へ積極的に出向いてはボランティアをしたり、インターンに参加していましたので、他の新卒の人たちよりも現場に慣れているという妙な自信を持っていました。今思い返せば、そんなもの過信以外の何物でもないんですけど。
ユニットに配属されてからも、技術面において同期の仲間が苦労して習得しようとしている時でも、自分は「これがわかりません」ということも特になくて、指示されたことはスイスイとやっていました。
すべては順風満帆に進んでいました。

介護の世界に進みたいと思った時、学校に行って学んで、資格を取ってから行った方が良いとアドバイスをくれた先輩や母が言っている事って、きっとこういう事だったのかな?と感じながら、気持ちのどこかで完全に高をくくっている自分が居たんだと思います。
そんな中、入職1カ月目の私は、絶対にやってはならない事故を起こしてしまったのです。

誤薬です。

ショックでした。

お客様に本当に申し訳ないことをしてしまった・・・。

すぐに医務へ報告して、お客様の健康状態に別状はなかったものの、誤訳は絶対にやってはいけない事故だし、100%私が悪いミスです。この時ばかりは、本当にすごいへこみました。

学生時代は成績もよく、介護技術の面においては、入職してからわからない事もあまりなかった。そうやって、高をくくっていた中で起きた誤薬の事故でした。
最低です。「何をやってんだ!人の命を預かる仕事の責任を軽く考えるな!」と、私は自責の念でいっぱいでした。
この自分の弛んだ気持ちや慢心が招いた事故は、絶対に他の事故にも繋がる。気持ちを引き締めて、ゼロからやり直そうと思いました。いや、ゼロからやり直すのではない、自分はそもそもゼロなんだと。
「出来るとでも思っていたか!勘違いすんなよ!」と、自分の愚かさを恥じました。しばらくの間、自分を自分で叱責する日が続きました。
二度とこの様な事故を起こしてはいけない、絶対にいけない。

この一件があってから、私は仕事への向き合い方が大きく変わりました。

「出来る時ほど勘違いに陥る時。慣れた頃が一番危ない。繰り返すものほど、基本に忠実に。慢心が事故を招く。」

勤務に入る前、必ず自分の心でそう唱えてから現場に入る様にしています。
あれから2年以上が経過しましたが、それ以降は同様のミスは起こしていません。あの時、痛いほど、学びました。

入職から2年…
他施設支援の仕事を通じて
ユニットリーダーの仕事を
もう一度振り返る

湖星会に入職してから、今日までの2年間は本当にあっという間でした。
入職1カ月目に重大なミスをしてしまって、へこんで、気持ちを入れ替えて、私はそこから色んな事を学びました。あの重大なミスがなかったら、多分今の自分は無かったと思います。気持ちのどこかで勘違いをしたままで、学ぶ姿勢を間違えたまま、大切な事を何も吸収出来ずに突っ走ってきてしまったのではないかと思います。こんなに沢山のことは学べなかったと思います。
たとえ学生時代に実習やボランティアで何度も経験して、難なく十分に出来る事であっても、もしかしたら自分のやり方は違っているかも知れないし、もっといいやり方があるかも知れない。或いは、自分のやり方は間違っていないと確認ができて、自信をもって実践できるかも知れない。
復習して、見直して、もう一度先輩に教わりながら、そうやって一つひとつゼロから学びました。

すると、今まで知らなかった事、新しいことが次々に自分の中に入ってきました。その周辺技術やそこから先に展開される事など、また新たな技術や知識を色々と身に付ける事ができました。先輩職員や他の専門職の方から学んだ事と、自分が知識として頭でだけわかっていた事とが、次々に合築されていく。この瞬間が、楽しくてたまらなかった。「なるほど~」「なるほど~」と、貪欲に吸収しました。

入職してちょうど丸1年が経過した昨年の5月に、私はユニットリーダーになりました。
これまでは、早番勤務であれば早番勤務者の仕事を、夜勤であれば夜勤勤務者の仕事をしっかり責任を持って遂行することで自分の役割を果たしてきたのですが、リーダーになると、そのプレイヤーとしての仕事にプラスして、ユニット内の連携はもちろんですが、他部署との連携や情報共有、報告、そしてユニットのスタッフがスムーズに動けるように、必要な情報を展開し、きちんとした正しい指示を出すのがリーダーとしての役割になってきます。
ユニット内のメンバーが働きやすくするためにはどうしたらいのか、新しく仲間に加わってもらったスタッフは不安なく仕事や環境に馴染めているか、いつもそんな事をグルグルと考えながら、毎日仕事をしていました。

私がリーダーになって間もなく、まだまだ周囲に助けられながら何とかリーダー業務をこなしていた頃です。自分のユニットで初めてお客様の看取りを担うことになりました。看取りの経験自体が初めてですし、どうしたらいいのか、スタッフに指示一つ出すにしても、方針を決めない事には何も説明ができない訳です。
お客様は認知症が進んでいて食事が殆ど取れなくなっていて、拒否もありました。私は、先ずは方針を決めるために、看護師や管理栄養士、機能訓練指導員など他の専門職へ連日のように相談しました。そしてご家族とも頻回に連絡を取り合いました。自分のユニットのメンバーと話し合って、悩みながら、迷いながら、方向性は決まっていきました。
一人のお客様の最期をどうしていったらいいものか、ユニットの全メンバーと、各専門職みんなで考える時間をちゃんと持てて、私たちでお客様の最期を看取らせて頂けたことは、本当に幸せなことでした。ご家族からは、最後、何度も感謝の言葉を頂きましたが、私もユニットのメンバーも、みんなお客様やご家族に、心から感謝しました。

月日が経つのはあっという間で、私も入職して丸2年が経ちました。
半期毎に、目標管理シートと一緒に実施される職員アンケートには、今後の自分の希望や組織作りに関する意見などを記入する箇所があります。そして、湖星会が全国に展開する施設へ、一定期間サポートに行く要請あった場合、それに応じられるか否かについても訊かれる箇所があります。湖星会は、横浜の他にも札幌、仙台、福島、伊達、二本松、会津、掛川と全国に施設を展開する法人です。私は機会があれば、是非行ってみたいとかねてから思っていました。
日本全国の、様々な生活文化に触れてみたいという興味と、色んなお客様に出会ってみたいと思う気持ちからです。そして、様々な経験を重ねて、この仕事の面白さを次の世代の人たちに、ちゃんと伝えていける様な仕事をしていきたいと考えています。

先日、湖星会のとある事業所から支援要請がラスール金沢文庫に入り、2か月間、行けるか否か施設長から打診がありました。
答えはもちろん、YESです。
配属先には既にリーダーがいらっしゃいましたので、私はリーダーとしてではなくて、一般スタッフとして出向くことになりました。配属先のリーダーを中心にして、ユニットのスタッフや各部署の専門職と上手に連携を図り、その配属されるユニットが、きちんとチームとして機能するようになることが、私に課された1つの使命でした。

いつも自施設ではリーダーとして働いている私にとって、この様な機会にリーダーを離れて仕事をしてみることで、わかったことが色々とありました。リーダーの役割を客観的に見直す事ができて、スタッフ目線からリーダーには何を求めているのか、どうしたらユニットのスタッフが働きやすくなり、チーム全体の力を上げる事ができるのか、という事が、本当によくわかりました。
先ず一番に感じた事は、リーダーは率先して自分から動かなければ、ユニットのスタッフはついてこないという事です。

どうしたらいいものか、自分で悩んでいたり迷っていたりして、ただ自分の中でグルグルと考えているだけだったり、わかってはいるけど、忙しさに負けて一歩踏み出せないでいる。自分が発信しなければ、自分も含め誰も何も動き出さないという事なんですけど、これ、すごく良く分かります。リーダーとしての立場でもよくわかるし、スタッフの立場でもよくわかる。どちらも自分に経験があるからですね。

「言われてないからやっていない。」「聞いてないから知らない。」スタッフにしてみれば当然そうなるんです。ただでさえ、他部署と連携を図る時の窓口はリーダーが担っています。そこで得た情報をきちんとユニットのスタッフに展開しなければ、ユニットのスタッフにはその情報は届かず、リーダーで遮断されてしまうのです。
他部署からそれを受けて、じゃあ私たちはそれに対して今後どうやっていくかという事をちゃんと話し合って決めるなり、もしリーダーが決めるのであればその決定事項をきちんと共有しなければ、当然スタッフは身動きが取れない。それ位のこと、言われなくても考えれば出来るだろうという考え方では、チームは機能しないんですね。だから、リーダーは情報をきちんと展開するという事と合わせて、率先して動くということが大事だと感じました。一緒に働くスタッフと日頃からの連携が取れていないと、いざとう時チームは機能しないという事を改めて認識する事ができました。

あとは、介護を勉強してきている人も、そうでない人もいる中で、スタッフの能力も、仕事への向き合い方もまちまちであるという事。1つの指示を出せば、その周辺の事も併せて進められる人もいれば、言われた事だけをやり、それに関連してくる部分まではやらない人もいる。そうなると、リーダーはスタッフの能力やタイプをある程度事前に把握して、誰に対してどこから教えてどこまで指示出しが必要か、という見極めをしておく必要がある訳です。私たちが日頃、お客様お一人おひとりを個々に見つめて向き合っているのと同じように、私たち働くスタッフだって一人ひとり、個性や特性がある訳ですよね。先ずは私自身、自分を客観的に知る事、そしてスタッフ一人一人を知って、それぞれのスタッフに対する関わり方をちゃんと自分なりに掴んでおきながら、目標地点に到達するために必要なことを個々に合わせて伝えてく必要があるんです。そして、全体がうまく連携できるようにしていくことがとても大事だという事が、よくわかりました。
いちスタッフとして2か月間支援に出向き、ユニットの中でリーダーの指示を受けて仕事をする中で、あらためて、リーダーに必要なスキル、スタッフがリーダーに求めるもの、今後自分が身に付けていかなければならない事が見えました。

私のこれからの目標は
この仕事の面白さを
次の世代に伝えていくこと

ちなみに、両親から借りた学費300万は、入職2年目の昨年の10月に完済しました。大体、1年半で完済です。
この話をすると、みんな「嘘だろ?ダブルワークかよ」と驚かれるんですけど、本当ですし、当然ダブルワークはやってないですよ(笑) 。
もちろん、実家暮らしだからこそ1年半で完済できたんですけど、大体毎月20万ずつ返済していました。最後の返済を終えた時、自分の中で、何か一つ成し遂げた達成感の様なものを感じました。仕事の目標とは違いますが、学費をちゃんと返済するというのは、自分の中でマストの目標でしたので。両親も、まさかこんなに早く完済してくると思わなかったみたいで、驚いていました。

私のこれからの目標は、いつか実習指導者の資格を取得して、若い人たちにこの仕事の面白さを伝えていきたい。
私自身、実習やボランティアでお世話になった沢山の実習指導者の方たちからは、本当に多くのことを学ばせて頂いたし、学生時代に関わる実習指導者の方たちの言葉一つひとつって、この世界を志している学生にすごく影響力があるというか、これから社会へ一歩踏み出す上でどの道を選ぶかのきっかけをもらえましたし、折れそうな心にそっと添え木をあててもらったこともありました。今度は私がその立場になって、これまでお世話になった方への恩を返せるようにしたい。
今、色んな経験をさせてもらっていますが、いずれはこの仕事の面白さを次の世代に伝えていく仕事を目指したいと思っています。

応募を検討している学生の皆さんへ

ユニット型なので、固定配置された職員でチームとなって、やりたいことにチャレンジできる環境です。ある程度、そのユニットごとに任されている仕事も多いので、責任もあるけど、その分遣り甲斐も大きい。チームのメンバーと日常的に意見を交わし、方向性を確認しあって、こんなことしたい、あんなことやりたいと意見がまとまれば、すぐに形にできる、そんな仕事の面白さもあります。

あとは、仕事を通じて、人間として学ぶこと、成長できることが多い仕事だと思います。私自身、この仕事以外の仕事を腰を据えてじっくりやったことがある訳ではないので他の仕事と比較してどうか、という事は申し上げられませんけど、仕事を通じて成長機会を頂ける事はもちろんですが、お客様やご家族様との関わりの中で、人の想いであったり、感情であったり、人間にとって本当に大切なものって何なのか、人が生きる事を通じて学ばせて頂く事って本当に沢山あります。

魅力ある施設創りを横浜で一緒にやっていきましょう!
皆さんのお越しをお待ちしております!

Profile

神奈川県横浜市出身。日本工学院放送映画科 卒、湘南医療福祉専門学校 卒。
マスコミ関係の仕事に興味があり、業界就職に強いと言われる専門学校へ進学。卒業後は念願叶ってテレビ番組の制作会社への就職を果たすものの、労働環境に馴染めず1カ月で即退社する。そこから数年間はフリーターとして働き、様々な人生経験を積んだ。母の影響もあり、介護の世界に興味を持ちはじめ、一念発起して介護福祉専門学校へ進学し、卒業後はラスール金沢文庫へ新卒として入職した。その時、27歳。
同期の新卒入職者の中では最年長であり、社会経験も豊富であった事から、良きお兄さん的存在として若手職員を支えている。昨年、ラスール金沢文庫地域開放のイベントとしては最大規模となる秋祭り「KANABOON FES」で、新卒入職1~3年目の職員を束ね、よさこいソーランのエネルギッシュな踊りを披露。その熱く力強い舞いは観客を一瞬にして魅了した。鳴り止まないアンコールの中、そのコールに応えて4回に渡り力の限り踊り続け、会場が一体となって祭のフィナーレを盛り上げたこの出来事は、今や伝説となっている。
温厚で前向きな性格と、爽やかで清潔感溢れる彼の人柄は、多くの人に受け入れられ、職員はもちろん、お客様からもご家族様からも慕われている。
ラスール金沢文庫スタッフ、爽やか部門スタメンの一人。

介護リーダー(ユニットリーダー)の先輩インタビュー